永田町では6月2日の菅内閣の不信任決議案採決前から菅直人首相の退陣をにらんで「次の民主党代表」選び、そして首班指名選挙に向けた駆け引きが激しさを増していた。
その主役の一人が小沢一郎・元民主党代表だ。
小沢氏が大きく政治を動かす時は水面下に潜る。普段は東京・赤坂の個人事務所に陣取る小沢氏が、数日前から番記者にも所在を掴ませなかった。同氏の動向が見えぬまま、直前まで新聞・テレビは“造反は小沢派の少数”“小沢斬りが完成”と誤報を繰り返していた。
その裏で菅氏周辺は、すでに「退陣やむなし」と覚悟していたのである。
不信任案成立の流れを決定づけたのは、5月中旬に開かれた小沢氏と森喜朗・元首相の秘密会談だった。
森氏側からは政界引退後も今なお自民党参院に隠然たる力を持つ青木幹雄・元参院議員会長、そして仲介役として菅退陣論の急先鋒、西岡武夫・参院議長が参加し、参院議長公邸で開かれたとされる。
その場で「震災救国連立」への道筋が話し合われたという。
森氏の側近議員が語る。
「内閣不信任案の早期提出と、菅首相の退陣後に震災復興と原発事故対応に目的を絞った暫定連立政権をつくる最終合意が結ばれた。それを受けて森さんが谷垣執行部に、『菅を退陣に追い込める見通しが立った。不信任案を出そう』と背中を押した。
執行部や派閥領袖たちには、これまで何度も煮え湯を飲まされてきた小沢氏のシナリオに乗ることに慎重論も強かったが、森さんは“今度は小沢は絶対裏切らない”と党内を説き伏せた」
谷垣禎一・自民党総裁が不信任案提出日の党首討論で、「首相が辞めれば、党派を超えて新しい体制をつくる工夫ができる」と言及したのは、そういう意味だったのである。
※週刊ポスト2011年6月17日号