1980年代にはいって、カラーテレビの普及などにともなう家庭の電力使用量の変化を支えてきたのが原子力発電だった。だが、その原発も「絶対安全」ではあり得なかった。大震災の発生と続く原発事故によって、これまで無尽蔵のように電気を使って何の疑問も感じてこなかった生活を、いま、見直さざるを得なくなっている。
そうして振り返ってみると、あまりにも急速に進んだ暮らしの電化によって、かつてなら当たり前だった多くの光景が、日常から消え去ってしまっていたことに気づく。
打ち水が施され、風鈴の涼やかな音が響いていた夏の路地裏。いまではエアコンの室外機がいくつも並び、無粋な排気音をたてながら、外気を熱し続けている。それによって温められた空気は、涼しさを呼んだ夕立の代わりに、ヒートアイランド現象を生んでゲリラ豪雨を降らせる。
冬、家族がみんなでコタツに足を突っ込み、みかんをつまみながら1台のテレビで人気ドラマに熱中したのもいまは昔、それぞれが好きな番組を自室のテレビで見、あるいは録画機におさめておく。寒い朝でもいちばんに起きてストーブをつけてくれていた母親への感謝は、タイマーで自動的に暖めてくれるエアコンの手軽さにかき消された。すべてが手作りだったお弁当も、いつの間にか冷凍食品をチンするだけのおかずばかり。
温水洗浄便座、食洗機…生活必需品とは少し違う、便利さを徹底的に追求した電化製品が広まっていった。服飾デザイナーの森南海子さん(76)がいう。
「生活習慣がとにかく“時間をかけないことが正しい”“便利なことが正しい”という方向になりました。でも本来、手間をかけることと無駄なこととは違う。たとえば家族の衣服が破れると母親が縫って繕う。うつむいて静かに針を動かし、針先を通じて夫や子供たちに思いを託しました。お弁当作りや週末のご馳走も同じこと。その時間と思いを家族が感じることで絆が深まった。そうした情景はどこへいってしまったのでしょうか」
※女性セブン2011年6月16日号