今、日本は未曽有の苦しい状況に立たされているが、重要なのは、強いリーダーシップ。弱い集団を強くしたリーダーの人心掌握術を見てみよう。ここでは、とある「底辺高校」を改革させた男のケースだ。
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教育現場の再生は、学校職員だけでなく生徒の変革も求められる難しい仕事だ。鈴木高広氏(68)は、1997年に校長として都立足立新田高校に赴任した。当時の同校は都立の最底辺校といわれ、学年240人中約半数が中退。入試では定員割れの年もあり、「名前を書けば合格する」と揶揄された。「潰してもいい」という雰囲気の中での、いわば“敗戦処理”としての登板だった。
「校舎も本当に荒れ果てていました。生徒は九九もアルファベットもあやふやで、先生もやる気ゼロ。誰もネクタイをしていないのは、生徒に引っ張られて首が絞まって危ないからということでした」
鈴木氏は絶望と同時にやりがいを感じたという。毎日、勤務開始前の朝7時半に出勤してはジャージ姿に着替えた。
「まずは掃除から始めることにしました。ヘラでガムを剥がしたり、ペンキで落書きを塗りつぶしたり。塀を乗り越えて脱走する生徒を追いかけるのにもジャージじゃなきゃいけないでしょ(笑い)」
鈴木氏はまず体育教師を味方につけるために空き時間に近隣のゴルフ場を使えるよう手配。生徒の顔と名前を覚えて信頼を勝ち取っていった。
「学校を魅力的にするのはカリキュラムです。優秀な女子生徒を集めるためにホームヘルパー2級の資格が取れるようにした。スポーツ健康系、福祉教養系、情報ビジネス系の3学系を作り、人気が出てきました」
有名俳優のドラマのロケを受け入れ、髪が黒い生徒だけエキストラで出演できるようにして茶髪の撲滅に成功。謹慎処分を社会奉仕活動に変えた。「総合」の授業では校長自ら教壇に立った。
「お米1合に何粒あるのか実際に調べる授業などを生徒と一緒に取り組みました。校長が率先して現場の仕事をすれば、先生たちも『忙しい』なんて言い訳できませんから」
2004年には218人が卒業し、入試の倍率は5倍と都立一の人気校に変身した。
「自分が一番汗をかいている自信がありました。自分が動かないで人は動かせません」
※週刊ポスト2011年6月17日号