どんな組織でも「最弱の時代」はあるもの。それはプロ野球も同様だ。ここでは、パ・リーグ6球団の過去を見てみよう。
●埼玉西武ライオンズ
西鉄時代、1969年オフの「黒い霧事件」でエースだった池永正明を含む3選手が永久追放(2005年に復権)となり、さらに3選手が出場停止処分を受けたことなどからチームは一気に崩壊、以後1981年まで低迷する。奇しくもこの年入団したのが東尾修。野手の中心には基満男(1972、1980年ベストナイン)がいた。
●北海道日本ハムファイターズ
東映フライヤーズ時代の1968年に大下弘が監督に就任し、「サインなし、門限なし、罰金なし」を打ち出すと最下位転落。めまぐるしく監督は代わるが、以後3度の最下位含む9年連続Bクラスを記録する。この間にも張本勲は5度の首位打者獲得、高橋直樹は1979年に20勝を記録している。
●福岡ソフトバンクホークス
南海~ダイエー時代、1978~1997年まで20年連続のBクラスは日本記録。1977年終盤にプレーイングマネージャーだった野村克也が監督を電撃解任された。現・沙知代夫人が監督室に頻繁に出入りするなど公私混同が問題視されたため。江夏豊、柏原純一が異議を唱えて抵抗したが結局3人ともトレード。打線の中軸は門田博光が背負うことに。
●千葉ロッテマリーンズ
有藤道世は1970年代から1980年代にかけてミスターロッテと称された名選手。しかしロッテの低迷は、その有藤が稲尾和久から監督を引き継いだ1987年から始まる。落合博満の移籍などで主に攻撃面の戦力ダウンが著しく、9年連続Bクラスに。高沢秀昭は1988年に首位打者を獲得して気を吐いた。黒木知宏が支えた1996年からも9年連続Bクラスに低迷。
●東北楽天ゴールデンイーグルス
近鉄パールス時代の1955~1968年まで連続Bクラス。“万年最下位”のチームで投手&打者として孤軍奮闘したのが関根潤三だった。
●オリックス・バファローズ
イチローのメジャー移籍とともに一気に士気が落ちた感。2000~2007年まで4度の最下位を含む8年連続Bクラス。監督は目まぐるしく変わった。谷佳知も後に巨人へ。
※週刊ポスト2011年6月17日号