巨大地震の前に、「本」はあまりに脆かった。だが、日々の生活に窮する今だからこそ、人々の「活字」への思いは高まっている。3.11以後、再確認させられた書店の役割、そして「復興」への歩みをノンフィクション作家・稲泉連氏が綴る。
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福島県いわき市のヤマニ書房エブリア店。現在の売り上げを支えているのは、皮肉なことに震災・原発関連の書籍や雑誌だ。店内には復刊された高木仁三郎の著作が並び、放射線や原発に関する本が至る所で平積みにされている。とりわけ地元紙である福島民報社の写真集『ふくしまの30日』は、ヤマニ書房だけで二〇〇〇冊近い売り上げを記録したという。
店長の吉田政弘は、そうした状況がいつか終わったとき、自分たちはどのように書店を盛り立てていけるだろうか、と思わない日はない。
「いわきという街は――」と彼は言った。
「ある意味、北の果てになってしまうのかもしれない、と思うんです」
福島第一原発の事故は海を汚染し、漁業は取り返しのつかない打撃を受け続けている。仙台まで通じていた鉄道は分断され、「浜通り」と呼ばれる沿岸の道も途切れてしまった。街と街とを繋いでいた道、そしてその歴史が断ち切られてしまうこと。その影響の大きさについて、彼はまだ想像しようという気になれない。
「この街は行き止まりになってしまうかもしれない。そうした場所からは若い人たちが減っていくでしょうし、我々の世代も彼らに『戻ってきて欲しい』と簡単には言えません。十年後、二十年後……と全く先が見えないんです。いつになれば『終息した』と言えるのか、『安全だ』と言えるのか……」
彼はそう話すと、「今はまだ何の答えも見つかりません」と続けるのだった。
「でもその現実を踏まえた上で、私たちは生きていかなければなりません。個人としても会社としても。この土地でどうやって生き残っていくのか。その方法を考えていかなければならない。いつかは答えを見つけなければならないと思っています」(敬称略)
※週刊ポスト2011年6月17日号