被災地で救助活動を行う自衛隊員のなかには、自らが被災し、家族の安否確認もとれないまま出動した者も多い。子供を残したまま出動し、帰宅もままならない母親の自衛官もいる。
「震災当日は、長男の幼稚園の卒園式で、やはり自衛官の夫と一緒に休みをもらって出席していました。地震に襲われたのはその帰りの車中でのこと。車ごとひっくり返ってしまいそうな激しい揺れで、この世の終わりかと思ったほどでした」
そう語るのは、東北方面衛生隊第105野外病院隊に所属する板橋佳恵1尉(35才)。彼女は6才の長男、4才の次男、3才の長女の3児の母親でもある。夫の両親とともに仙台市若林区で暮らしながら、仙台の自衛隊病院で看護官として勤務していた。
「次男は一緒に連れていっていましたが、長女と義理の両親が心配だったので、急いで家に帰りました。幸い、全員外に避難して無事でした。家のなかはものすごい状況で、タンスなどもすべて倒れ、熱帯魚の水槽が割れて部屋は水びたしになっていました。
しかし、私たち夫婦は自衛官なので、すぐに出勤しなければなりません。夫は迷彩服に着替えて家を出、私も子供たちの身支度をちょっと揃えて後を義父母に託し、午後4時には勤務先に向かいました」(佳恵さん)
1日だけ休暇をもらい、子供たちに再会できたのは、10日ほど勤務先の病院で寝泊まりした後のことだった。
「子供がずっと抱きついてきて離れないんです。別れ際、子供に“ママ、行かないで”としがみつかれたときは、胸が引き裂かれるような思いでした」(佳恵さん)
そんな葛藤がより強まる出来事があったのは、その3日後のことだった。義母と3人の子供たちが、佳恵さんのいる病院に患者として連れてこられたのだ。
ライフラインが止まり、食事も充分にとれないなか、子供たちが全員40度近い熱を出し、義母も体調を崩してしまっていた。
「みんな見るからに憔悴しきっていて、点滴を受けなければならない状態でした。子供は“苦しい”という言葉さえいえないぐらいで。国民を守る仕事をしているのに、自分の子供すら守ってやれないなんて…」
話ながら佳恵さんの目から涙があふれ、止まらなくなった。
※女性セブン2011年6月23日号