今にも雨が降り出しそうな厚い雲に覆われた6月2日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが東日本大震災の被災地、岩手県九戸郡野田村を訪れた。二戸駅から車で1時間半という野田村への道沿いの風景は、深い新緑に包まれ被災地であることを忘れる。
しかし、そんな気分も村に入ると一変する。海岸線の松並木は津波でなぎ倒され、村の大部分は瓦礫の撤去が進み荒涼とした風景が広がる。寂聴さんが最初に訪れたのは小高い丘の上にある野田小学校である。
全校生徒198人が体育館で待ちわびるなか、紫色の袈裟を着た小さな体の寂聴さんが姿を見せると大きな拍手が湧き起こった。
「みなさん、こんにちは! みんなに会いたくて、京都からはるばる来たんですよ。今日は一緒に遊びましょうね」
緊張した面持ちの子供たちも、とびきりの笑顔と明るく優しい言葉に顔がほころぶ。
「私はね、お話を書いているの。絵本も書いているけど、小説家って知ってる? 名前も憶えてね。寂聴さんっていうのよ。今日は皆さんの元気な顔を見ることができて本当に安心しました。この中には家がなくなった子もいると思うけど、必ず元通りになりますからね。ガッカリしないでね。皆さんが元気で育っていくこと、一生懸命勉強して賢くなっていくこと、それが町の復興─新しくつくり上げる力になるんですよ」
この日、寂聴さんは子供たちに贈る本と一緒に紙芝居を持ってきていた。その中の一つ、インドが舞台の『月とうさぎ』を、生徒を代表して朗読することになった6年生の女の子が読みはじめた。横に立つ寂聴さんが合間にわかり易い解説を入れる。
「インドはね、お釈迦様という偉いお坊様が生まれた国なのよ」
紙芝居が終わると質問タイムだ。とはいえ、「聞きたいことがある子は手を挙げてね」と言われても恥ずかしくて顔を見合わせてばかり。ようやく上級生の女の子が手を挙げた。
「今まで何冊、本を書きましたか?」
「そうねえ……300……いえ、400冊くらいかしらね」
意外な質問に戸惑う寂聴さんだが、その答えに子供たちから「え~、すご~い」の歓声があがる。これを機に堰を切ったように手が挙がった。
「一日に何冊本を作るのですか?」
「一か月の給料はいくらですか?」
ユニークな質問に戸惑いながらも、ウィットを交えて答える寂聴さんはじつに嬉しそうだ。
「本というのはね、原稿用紙で何百枚も書かなきゃできないから、何か月も掛かるのよ」
「会社に勤めていないから、自分の書いた本が売れないとお金が貰えないのね。売れないと困るから、皆さん買って頂戴ね」
笑いに包まれた会場が静寂に包まれたのは、4年生の女の子が最後に質問したときだった。
「戦争のことを書いた本はありますか?」
不思議に思った寂聴さんは、「よく聞いてくれたわね。何でそれを知りたいと思ったの?」と尋ねた。
「戦争でも地震と同じようにたくさんの人が死ぬと聞いたからです」
寂聴さんはこの言葉に強く反応した。
「戦争はね、絶対にあってはいけないものなの。人間はね、平和じゃないと幸せになれないの。いいことを聞いてくれました。ありがとね。みんな本当に素直で頼もしい。きっと日本を背負ってくれるわね。私も安心して死ねますよ(笑い)」
取材・構成■酒井一郎
※週刊ポスト2011年6月24日号