全国の自衛隊員約25万人の半数近い10万6900人にのぼる自衛隊員が、東日本大震災で被災した人々の捜索・救助、生活支援、救援物資の運送、緊急医療チームの派遣、福島第一原発への決死の放水活動、さらに遺体の収容・埋葬などに出動した。
瓦礫の山と化した凄惨な光景が映し出されるなか、命懸けで働く自衛官たちのたくましい姿に多くの人が感動したが。肉体的な疲労はもちろんのこと、隊員たちの精神的なストレスは深刻だ。軍事ジャーナリスト・世良光弘さんが代弁する。
「若い隊員たちに話を聞くと、“身内以外の遺体を初めて見た”というんですね。警察や消防は事件や事故、火事などで遺体を見ることがあるので免疫がありますが、自衛隊員は本物の遺体を見る機会はほとんどない。慣れていないんです。活動している最中は緊張感で、そのストレスが表に出ることはありませんが、被災地から戻った後に、“悪夢にうなされた”“やる気が出なくなった”といったPTSD(心的外傷後ストレス障害)や燃え尽き症候群が出てしまうんです」
阪神・淡路大震災で災害派遣を経験した陸上自衛官の妻は当時の夫の様子をこう話す。
「夫が25才のころで、彼にとっては初めての大きな災害派遣でした。発生後の1月に派遣され7月に帰ってきましたが、そのとき、こういったんです。“あそこに、まだどれだけの人が眠っているんだろう”って」
夜、眠っている間にうなされているので妻が起こすと、「ああ、しんどかった」といってまた眠ることもあった。また、こんな体験も語ったという。県知事の指令で「人命救助」から「復旧」に切り替わり、重機を使って瓦礫の撤去作業を始めてからのことだ。作業をじっと見つめている家族とおぼしき住民がいた。
「その人に声をかけると、“ここで母が寝ていたんです”と答えたそうです。そこで、夫たちが手掘りに切り替えると、下半身が焼け、上半身はそのままのご遺体が出てきたと…。この話をしたとき、夫は目に涙をためていました」(妻)
その後、夫は精神科にかかり、パニック障害とうつ病と診断され、4、5年通院。そして夫は、今回再び被災地に向かった。
「原則、家族から電話をかけるのは禁止になっています。その電話をしていることで緊急の電話に出られなくなる可能性があるので。夫から連絡があるのは月に1~2度くらいです。そもそも被災地のどのあたりに行くかも、守秘義務があるのか教えてくれません。夫は元気で帰ってくるでしょう。でも、1年後、2年後、3年後がどうなってるか心配です」(妻)
いまは、こうしたPTSDなどを防ぐため、メンタルケアを任務とする隊員が被災地を巡回している。
※女性セブン2011年6月23日号