被災地では多くの人が亡くなったが、遺体を送るためにかかせぬ人が「納棺師」。ノンフィクション作家の石井光太氏が、岩手県釜石市で働く白髪の納棺師に密着した。石井氏が綴る。(以下、敬称略)
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千葉淳(70)は三年ほど前に葬儀会社を退職して年金暮らしをしていたが、今は臨時の依頼があるときだけ、納棺師として働いている。
千葉は冷たい体育館に何日も放置される遺体が哀れでならなかった。電柱につかまったまま死んだ者、車のハンドルを握りしめながら死んだ者、みな命を落としたときのままの姿で無造作に横たえられているのだ。
千葉は考えた末、遺体に語り掛けることにした。せめて自分だけは遺体を人間らしく扱ってあげたかった。
毎朝千葉はその日に火葬される予定の子供の遺体に声を掛けた。
「昨晩はずっとここにいて寒かっただろう。ごめんな。けど、今日やっと遺骨になってお父さんやお母さんのところに帰れるからなァ。家は暖かいだろうし、お母さんの手料理まで供えてもらえる。家庭のぬくもりを味わってくるんだぞ」
また、別の大人の男性の遺体にはこう言う。
「ほら、今日は晴れそうだぞ。息子さんが迎えに来たらちゃんとお別れを言うんだぞ。そうすれば残された息子さんも立派に成長するはずだ」
古い体育館の殺伐とした空気のなかで、横たえられる遺体は、いわば“物”でしかなかった。だからこそ、千葉は生きている者と何ら変わらぬように言葉を掛けることで、少しでも人間としての尊厳を取り戻させてあげたいと願ったのだ。
遺族の前でも、千葉は遺体に頻繁にはなしかけた。息子たちが父親の遺体を引き取りに来たときはこう言った。
「お子さんが会いにきてくれたぞ。よかったなァ。もう一人ぼっちじゃない」
静まり返った体育館に、千葉のやさしい声が響く。彼は遺体に顔を近づけてつづける。
「これで安心して天国に行けるなァ。あっちからずっと息子さんを見守ってあげなよ。息子さんもそうしてもらえたら嬉しいだろうから」
息子たちはその言葉を聞いた途端に感極まり、涙をこぼした。殺風景な安置所のなかで、千葉の言葉だけが唯一人間味を感じさせる慰めだったのだろう。 千葉は家族の肩を叩いて言う。
「見つかってよかったね。家族に葬ってもらえるのが一番だ。亡くなったお父さんも心底喜んでいるよ」
息子たちは嗚咽する。みんな安置所の重苦しい雰囲気に配慮して必死に感情を押し殺していたに違いない。千葉の思いやりのある一言でその呪縛が解け、一気に様々な思いが噴き出してきたのだ。千葉はそんな姿を見ると安堵に似た気持ちになるのだった。
※週刊ポスト2011年6月24日号