NHK有働由美子アナの脇汗ジミ問題。「恥ずかしい」から「働く女の誇り」まで、議論百出だが、作家で五感生活研究所の山下柚実氏は、「私はごめんです」と、きっぱり。以下、脇汗支持女性について、山下氏が分析する。
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朝の情報番組『あさイチ』で、有働アナの“脇の汗ジミ”が何度も映し出されることに、視聴者から苦情が。有働アナは「あまり恥ずかしい思いがなかったんですが、これから気をつけま~す! すみません!」とあっけらかんとコメント。この対応に好感度がアップしたとか。「“有働さんめげずにがんばれ”“ワキ汗は働く女の誇りである”といった応援の内容がほとんどでした」(NHK広報・高木千佳子さん 「女性セブン」6月16日号)。
個人的な意見としては、他人の汗ジミを、爽やかな朝にテレビ画面で見せつけられるのは、私はごめんです。
有働アナの身繕いに対する頓着のなさ、そんな彼女を「働く女の誇りだ」と評価する声に、1960年代の高度経済成長期、「忙しいことはよいことだ」と身なりも顧みず仕事に邁進していたモーレツおじさんの暑苦しい姿を重ねてしまうのは、私だけでしょうか?
「汗」の価値は、社会の中で常に変化しています。経済成長のただ中の日本では、「男の汗」は労働と努力の象徴であり、肯定的な意味あいを持っていました。また、政治家が「汗を流す」といえば、「自分をなげうってとことん奉仕する」という意味でした。
しかし、今や「男の汗」なんて、鼻をつまむ対象として敬遠されこそすれ、肯定的な意味で語られることは皆無に近いと言えるでしょう。草食系男子が求められる今の時代に、一人ダラダラ汗なぞかいていれば、「男性用汗拭きシート」を手渡されてしまうのが関の山。
それと180度好対照をなすように、有働アナの汗が、女たちから「労働の対価」として評価される。そのあたりに、時代がくっきりと映し出されています。肉食系女子の時代が。
以前と比べて、男と同じようにモーレツに働く女の数が増えました。仕事に邁進するあまり、汗ジミを作っていることにすら思い至らない――そんな労働スタイルが、女たちの間で認知され、許容されるようになった、ということです。
もう一つ、これは有働アナに特徴的だと思いますが、「私が」「私が」といって強烈に自己主張することで場を支配する。そんな女が、社会に広く受け入れられるようになった、ということでしょう。言葉だけでなく表情、汗、涙と、あらゆる生理的なものに自己主張が滲み出ている。
「番組を自分色に染め上げたい」「相手を制したい」という暗黙のメッセージが、動物的闘争本能のように、ほと走っている。たしかに動物は、縄張りをマーキングする時に、生理的な匂いや体液を駆使しますよね。
それとどこか似ているふるまい。だからこそ、本人は汗ジミを指摘されても、ちっとも悪びれることがないのでは。
そうした「野性的なアピール」に辟易とする人もいますが、共感する女も増えてきた。まさしく肉食系女子の時代。中には、自分が職場で果たせなかった「権力」による制覇の夢を、有働アナの姿に投影し、密かに応援している女性もいるかもしれません。
原則に立ち戻れば、脇の汗ジミなんて個人的な、いわば親しい友人の間でのみ許容されるもの。NHKの番組は、数千万という多種多様な人が見る「公共放送」の場。不快に感じる人も確実にいるとすれば、求められることはただ一つ。視聴者から指摘される前に「汗ジミにならない衣装をつける」という他者への配慮だけです。
公共とは「ニュートラル」な場。汗の匂いが立ちのぼる「ニュートラル」なんて、あり得ない。「ニュートラル」には、「無色」という意味もあるのですから。