6月5日――作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが名誉住職を務める岩手県二戸市の天台寺で、恒例の青空説法が行なわれた。境内には全国各地から大勢の参拝客が集まり、寂聴さんの話に聞き入った。
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不思議なもので、半年間も寝たきりだったのに原発の事故が起こると思わず立ち上がっていました。まだ足元はおぼつきませんが、3日前に被災地の野田村(岩手県九戸郡)の小学校に行ってきました。海岸線の松の木がほとんど流され、津波の猛威に身震いしましたが、瓦礫はきちんと集められ、村は整然としていた。震災発生から3か月、これほどきれいになるものなのかというのが正直な気持ちでした。
でも、そんなことがあるはずないと思い直しました。この目で見て確かめたくて、昨日、野田村から車で3時間南に下った宮古に行ってきました。以前、法話で何度か訪れたことのある静かな村は、瓦礫もそのままというひどいあり様でした。
一軒のお宅の玄関には汚れたアルバムが残されていました。開くと、そこには幸せそうな家族の写真がたくさん貼ってあった。そのご家族は亡くなってしまったのかもしれません。もしかしたら、生きていても帰ることができないのかもしれません。
宮古のさらに南にある山田町にも行きました。そこもほとんど手つかずで、散乱した瓦礫の中には“エロ雑誌”なんかも混じっています。誰かがここで生活していたという証―─私にははっきりそう見えました。
私は小説家ですから、自分の目で見て、肌で感じなければ文章が書けません。報道を見聞きするだけでは、現実に起こっていることを正確に感じることができないからです。実際に現場に行くことがいかに大事なことか、今回も身に染みて感じました。
誰でも生きている間に恐ろしい目には遭いたくありませんね。でも、生きていれば何が起こるかわかりません。私たちはいつ死ぬかわかりません。いつか死ぬために生まれてきたようなものですね。
私たちが生きている“今日”という一日は、かけがえのない貴重な一日です。大いなる力によって与えられた生涯を、大切に、そして実りのある生き方にしてほしいのです。
そのためにも、自分より他の人の幸せを祈ってください。
他の人といっても近くにいる人だけではありませんよ。この地球に一緒に生きている見知らぬ国の子供たちが、お腹いっぱい食べることができて、親と同じ家に住んで互いに温め合いながら生きていける世の中になるように祈ってください。
神や仏は、私たちが耐えられない痛みをお与えになることはありません。私たちが苦しみを切り抜けていく力があるから試練をお与えになる。
どんなに辛くても絶望しないでください。自殺だけはしないでください。自分はそれでいいかもしれませんが、残された家族や友人は耐えきれない悲しみ、苦しみを一生背負うことになります。
今がどん底なら、もう下はありません。あとは良くなるだけです。暗闇の中にあっても、どうか光を見つけてください。人を信じること、人を愛すること、絶望しないこと─―このことだけは、どうか忘れないでくださいね。
取材・構成■酒井一郎
※週刊ポスト2011年6月24日号