黒岩祐治氏は1954年、神戸市出身。灘校、早稲田大学政経学部を経て、フジテレビ入社。報道局解説委員、『報道2001』キャスタ―を歴任し、今年4月より神奈川県知事に転身した。灘校の「銀の匙教室」昭和49年卒業組である黒岩氏が伝説の国語教師・橋本武先生(98歳)との思い出を語った。
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灘中学に入学してから、もう43年の歳月が流れました。当時から橋本先生は白髪混じりの、優しい風貌ではありましたが、実際に先生の授業を受けてみると、礼儀や時間など規律を守らない生徒には出席簿で頭を叩く厳しさがあった。
ただ、それ以外は生徒の自主性を重んじ、とことん自由に発言させる教育方針でしたね。その象徴が、『銀の匙』を中学3年間かけてじっくり読み解く授業です。
先生が作成したノートは、国語の授業というより、日本語教養講座です。 難解な表現を自分が調べて、書き込む。小説には各章の表題がついていないので生徒の間で表題をつける作業もありました。
最終的にクラスで統一した表題を決めるのですが、先生は決してどの表題にも正解と不正解をつけない。 今から思えば、人生に正解も不正解もないということを教えてくれていたんだと思います。
私が両親の転勤で東京の私立中学に転校するかどうか迷ったときもそうでした。先生の自宅に相談しに行くと先生はこう言いました。
「転校するもよし、転校しないで残るもよし。どちらも同じくらいにいい。僕はそう思いますねえ」
先生に引き留めてほしかった私は、拍子抜けしてしまった。
そんな時、ふと先生の書斎の棚に並んでいた過去の「銀の匙研究ノート」が目に入ったんです。それは過去に、先生と先輩たちが手作りしてきたガリ版刷りのプリント。その後、先生は過去の授業の思い出を滔々と語りはじめました。
私が過去の教材を見るのは初めてです。こんなにも歴史を積み重ねてきた先生の国語の授業を、自分は捨てようとしているのか、と。
帰り途に先生の言葉を思い出しました。「どちらでもいい」なら傷ついたでしょうが「どちらも同じくらいいい」――私を信頼してくれるからこその言葉に違いないと。気付いたら、しゃくり上げるように泣いていましたね。結局、転校話をキャンセルしました。 あの時、灘校に残って本当によかったと思っています。
私は卒業後も、先生の授業で培った、とことん疑問点を追求していく姿勢を常に意識してきました。1980年に入社したフジテレビでは、徹底的に取材できる救急医療のテーマを見つけ、そこから「いのち」の意味を問うていった。
物事を深く追えば必ず鉱脈があるという先生の教えの延長だったように思う。
今、私は神奈川県知事に就任し、様々な政策課題に取り組んでいます。 先日、先生にお会いしたら、
「黒岩くんのマインドはもともと政治家寄り。なるべくしてなった」と、喜んでくださいました。
教育とは教師と生徒の人間同士の格闘です。先生はいつも真剣に生徒と向き合い、自らもひた向きに新境地を開拓し、今でも、その姿勢に一寸のブレもない。 私はそんな“恩師”の後ろ姿を見て、また生きる力を得たような気がします。
※週刊ポスト2011年6月24日号