広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「独特の浮遊感」と評する落語家が、瀧川鯉昇(たきがわ・りしょう)である。
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東京落語の二大協会のうち、落語協会にばかり注目が集まりがちなのは昔も今も変わりはないが、もう一方の落語芸術協会(芸協)にも魅力的な演者は何人もいる。
芸協の中堅真打、瀧川鯉昇。彼は2005年以降の落語ブーム現象の中で「芸協にこんな人がいたんだ!」と注目が高まった個性派の演者だ。
1953年生まれ、浜松市出身。1975年に八代目春風亭小柳枝に入門したが、1977年に小柳枝が廃業したため春風亭柳昇の門下に移り、1990年に春風亭鯉昇で真打昇進。2005年に瀧川鯉昇と改名している。芸協には伝統的に新作派も多いが、鯉昇は古典派だ。
鯉昇の落語は、淡々と演じていながら濃厚な味わいがあり、クセが強いのに後味サッパリ。この「飄々としながら濃い」芸風は、彼が芸協の土壌で伸び伸びと育ったからこそ培われたものかもしれない。少なくとも落語協会の人気者や立川流の演者とは明らかに異質だ。
鯉昇は「上手い落語家」である。演出や台詞回しを工夫する「創作力」も豊かで、声も良い。だから音で聴くだけでも楽しめる。
だが「観る」ことなくして鯉昇の本当の面白さを味わうことは出来ない。その「インパクトの強いルックス」も彼の芸の一部だからだ。
鯉昇は高座に出て座布団の上に座ると、お辞儀をして顔を上げた後、しばらくは何も喋らず、ただ客席を呆然と見る。この「無言の間」に、客席からはなぜか笑いが起こる。まだ何もしていないのに!
ややあって鯉昇が微笑むと、「怖い顔のオジさん」としかいいようのない風貌が、何とも愛嬌のあるものに見えてくる。口を開くと、聞こえてくるのは深みのある良い声だ。
自身の健康状態や最近の出来事について、丁寧な口調で穏やかに語るのが鯉昇のマクラの定番だが、たいていダジャレでオチがつくような「ネタ」だ。そして、鯉昇ファンはその脱力感をこよなく愛する。
※週刊ポスト2011年6月24日号