大震災の復興へと向かわなければならないこの国で、政治のリーダーシップが全く見えてこない。その危機的状況を、ジャーナリストの落合信彦氏が解説する。
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“鉄の女”と呼ばれた英国のサッチャー元首相は、1982年のフォークランド紛争で、アルゼンチンに近い英国領への侵略を決して許さなかった。戦闘の中でイギリスは257人の兵士を失っている。後にサッチャーは私のインタビューに対して当時の心境を「人生で最も辛い時期だった」と振り返っている。
しかし、指導者としてブレることはない。フォークランド紛争当時のレーガン米大統領とサッチャーの電話記録が残っている(2人は互いを優秀な指導者として尊敬し合い、「ロン」「マギー」と呼び合う仲だった)。
戦争を思いとどまるよう呼びかけるレーガンに対し、サッチャーは「これは民主主義に対する挑戦であり、容認できない」と頑として説得に応じなかった。
なおも言葉を継ごうとするレーガンに、サッチャーは、「電話をくださってありがとう」とだけ告げ、受話器を置いた。
暇さえあれば官邸から電話をかけて、“専門家”から意見を聞き、自分にのしかかる責任を軽くしようとする日本の総理大臣とは大違いではないか。
自信がないから意見を取りまとめる「対策会議」を数限りなく作る。確かにそうすれば、下した決定の責任を分散できる。だが、決断のスピードも、決断を遂行する覚悟も、確実に鈍るのだ。
サッチャー女史は「妥協とコンセンサスで政治が成り立つならリーダーなどいらない」と私に語った。彼女のように自分の決断に責任を持つ政治家は、地位に恋々としない。
11年半にわたってイギリスの首相を務めたサッチャーは、選挙に敗れてその職を辞したわけではない。1990年の保守党代表選で、サッチャーは過半数を得票しながら辞任を表明している。
2位との得票差が小さかったため、2回目の投票に勝負を持ち込まれたのだ。それを受けて辞任している。この時の心境について質問した私に、彼女はこう答えている。
「保守党の議員たちは、1回目の投票で私をリジェクト(拒否)した。議論を重ねれば私は勝てたかもしれないが、そんなやり方には、何の未練もない。私の主張は正しかった。正しいものがなぜ議論をしなきゃいけないのか?」
これを独善的な言葉と解釈してはならない。フォークランド紛争の時のレーガンとの電話のやり取りからもわかるように、彼女は民主主義を強く信じている。
ただ、「リーダーは責任を取る。だから自分の決断を信じて行動する」という原則に、とことん忠実だったのだ。だからこそ、自分の決断が受け入れられないのであれば、その地位を返上することに、何のためらいもない。
リーダーに求められるのは、決断し、その結果に責任を持つこと。それが全てだと言っていい。
「ベントが遅れたのは自分のせいではない」「注水が中断していたという報告は聞いていない」「メルトダウンしていたことは2か月後に知った」何が本当で何がウソなのかもはやわからないが、確かなのは、菅直人は一人では何も決断できず、かつ結果に対して責任を取らない人間だということだ。逆に言えば、だから虚言を弄してまで不信任案を否決させ、総理大臣の椅子にしがみつく。
比べて論じる不敬を承知で言えば、サッチャーと全てが正反対なのである。
※SAPIO 2011年6月29日号