橘木俊詔氏は1943年、兵庫県生まれ。同志社大学経済学部教授。主著に『日本の経済格差』『灘校 なぜ「日本一」であり続けるのか』などがある。灘のOBでもある橘氏が同校の教育システムについて解説する。
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灘校の特徴は、教科担任の一人の教師が6年間持ち上がりで教える制度だ。1学年200余名の生徒は、卒業するまで同じ先生に教わる。この制度のメリットは、各教師が長期計画を組むことを可能にし、学習の進度も自在にできる点にあった。学校側も教師に教育方針を委ね、教師は自ら描く理想の学習を実践した。
授業は個性豊かでユニークを極めた。数学の宮原繁先生は、採点した試験の解答用紙を生徒一人ひとりに手渡し、クラスの平均点以下だったときは学籍簿で頭を軽く叩くのが恒例の儀式だった。私はいつも叩かれたからわかるのだが、そこには温かな励ましと愛情が溢れ、コツンと叩かれた時に心浮き立つものがあったことを今も思い出す。
英語の故・俵倫一先生も忘れられない。大学受験対策とはほど遠い授業で、英文の小説を原書で読み込むという大学の英文科で行うような授業内容だった。「長文をいかに速く読むかが英語の神髄」――俵先生の教育信念は私の人生に大きな影響を与えた。
現在、灘校には180名の新中学生と、高校入試による「新高生」40人が毎年入学してくる。彼らが高校で目標とする成績は、「学年順位100番以内の二桁死守」だ。
東大・京大進学者とその他の医学部進学者を合わせれば、およそ150名。上から4分の3に入っていれば安泰という学校なのだ。
さらに驚くべきは、日本最難関の東大理3への実績だ。1962年から2009年までの47年間に、灘高は588名を合格させ、2位のラ・サール292名を倍近くの差で引き離す。 まさに灘校は名実ともに日本一の学校といえる。
※週刊ポスト2011年6月24日号