震災後、改めて「活字の力」が再確認されている。こちらは、物資が不足した宮城県石巻市で、いち早く営業を再開したヤマト屋書店。いま、復活を果たそうとしている同店について、ノンフィクション作家の稲泉連氏が同店店長・津田昌彦氏の証言をもとにレポートする。(敬称略)
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石巻市に四店舗を展開するヤマト屋書店は、三月一一日の津波で三店舗が被災し、現在営業を再開しているのは同店のみだ。あの日、中里地区にある本店の会議に出席していた津田は、そこで地震と津波に遭った。
津波警報を聞き、近くのショッピングセンターの屋上に避難した。夕刻、本店が徐々に黒い海水に浸されていくのを、彼は見つめているしかなかった。ヤマト屋書店で働き始めてから二十九年が経つ。信頼するスタッフや仲間とともに送ってきた日常が、津波によってただただ失われていった。
「結局そこを脱出できたのは、自衛隊がボートで来てくれた四日後のことでした。しばらくして店を見た時は、とにかく悔しかった。床に落ちた本はどうにもなりませんが、棚に刺さったまま並んでいた本が水で膨らんで、どんなに引っ張っても棚から抜けないんですよ。悔しかったです。地震が、津波が……」
だが唯一残されたあけぼの店の店長である津田は、そうした悔しさを胸に抱えながらも、書店再開への仕事へすぐに取りかからなければならなかった。まずは学校への教科書の納入を終えること、そして店の棚をもう一度作り直すこと……。電気やガス、水道、食糧やガソリンが不足する中、彼は自宅から車で十五分ほどの職場に通った。
深夜二時からガソリンスタンドに並び、一日に三十分だけエンジンをかけると、シガーライターの電源で携帯電話を充電する。燃料を少しでも節約しながらの作業だった。あけぼの店が再開したのは三月三一日のことだった。
不安はあった。その少し前まで、店の目の前にあるイトーヨーカドーには、食糧を求めて深夜から客が並んでいた。今もなお食べ物の確保すらままならないでいる街の人たちが、果たして書店に来てくれるのだろうか──と。
「ところが店を開いてみると、とても大勢のお客様が来てくれました。開店前から行列ができて、店内はすれ違いながらじゃないと歩けないくらいなんです。人垣の後ろから手を伸ばして雑誌を取ろうとする人たちを見ながら、『人はパンのみにて生くるにあらず』という言葉を文字通り実感する思いでした」
再開から三カ月が経ち、同店では普段の三~四倍の売り上げを記録しているという。
※週刊ポスト2011年7月1日号