紛争当事国の国民ではないのに、金銭で雇われ、戦場に繰り出す傭兵たち。祖国を離れて戦う彼ら傭兵たちの日常はどんなものか。ジャーナリストの宮下洋一氏が現在内戦が続くリビアの傭兵事情を解説する。
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カダフィ大佐を支える傭兵は、主にマリ、ジンバブエ、チャド、ニジェール、コートジボワール、モーリタニアといったアフリカ諸国の出身者で構成されている。彼らの報酬は1日1000ドル(約8万円)とも言われている。
「月給100ドル」以下の国が珍しくないアフリカ人にとっては、目がくらむ金額だ。さらに入隊時にはボーナスも支給される。傭兵は一攫千金の“ビッグビジネス”なのである。
なぜ、リビアにアフリカ中の傭兵たちが集まったのか。この国の歴史をざっと振り返る必要がある。
1970年代から1980年代、大量の移民、主にサハラ砂漠の遊牧民であるトゥアレグ族がリビアに流入した。当時、リビアの実権を掌握、西アフリカのイスラム統一を目指していたカダフィ大佐は、フランスの外人部隊を模倣し、彼らを金で雇い、“イスラム外人部隊”として傭兵組織を作り上げた。
しかし、容赦なく人を殺すなど残忍な行為を繰り返したことから、単なる民兵組織ではなく、ならずもの集団と見なされていた。チャド、スーダン、レバノンなどで戦闘に明け暮れた彼らは、カダフィ大佐にとって重要な戦闘要員になっていった。
カダフィ大佐は、アフリカ統一機構(OAU)を改組したアフリカ連合(AU)の“生みの親”を自任。2009年から1年間、議長を務め、「アフリカ統一国家」を作り上げようとした。すなわち、アフリカ全体を自らの影響下に置くことで、アフリカ大陸の“大統領”の地位を獲得しようと夢見たのである。
その目的のために、莫大なオイルマネーをちらつかせ、リビアを訪れるアフリカ諸国の首脳らに50万ドルから100万ドルをばら撒いたと報じられている。アフリカ諸国からかき集めた傭兵は、こうした現金接待の見返りだったとの指摘もある。
リビアが内戦状態になって間もない2月下旬、首都トリポリの西約50キロメートルの要衝ザウィーヤで、傭兵は正規軍とともに機関銃と対空砲で反体制派に攻撃を仕掛けた。
傭兵は米、ロシア製の銃器やイスラエルが改造したカラシニコフ新型銃で武装。これに対して反体制派は戦術に長けたリーダーが不在の上、小銃程度しか持っておらず、勝敗は誰の目にも明らかだった。
ところが3月19日、NATO軍が軍事介入し、空爆を開始すると情勢は一変。間一髪で難を逃れたカダフィ大佐は、反転攻勢のために思いもよらない“奇襲”を指示する。
英デイリーメール紙によると、傭兵たちにバイアグラを与えたというのだ。その上で反体制派の女性たちへの性的暴行を許可することで、弾圧と同時に傭兵たちの性的欲求を解消させた。
さらには女性や子供たちの目の前で反体制派の父親を虐殺したという。傭兵たちはこうした残虐行為をあちこちで繰り返したため、リビア情勢はますます混沌としていった。
中東の衛星テレビ局アルジャジーラは、トリポリのホテルに逃げ込んできた25歳の女性が、2日間にわたって15人の傭兵たちから性的暴行を受けたと叫んでいる映像を流した。しかし、カダフィ派の親衛隊らが、彼女をインタビューしようとする外国報道関係者に暴行を加えるなどして威嚇。
女性も警察に拘束される事態となった。これに対して、リビア政府のスポークスマンは、酔っぱらった女性の妄想にすぎないと主張、傭兵の性的虐待を否定している。
カダフィ大佐に雇われる傭兵たちの中には、「戦争が終わった暁には、結婚相手を紹介する」といった甘言に踊らされた者が少なくない。
「戦う相手はリビア人じゃない。アルジェリアやフランスから来た傭兵、それにアルカイダなどの外国人部隊だ。敵のレベルが高い分、報酬も弾む。見つけ次第、殺せ」
と言われて連れてこられ、実際には4輪駆動のジープで町を走り回り、目についた反体制派のリビア人を次から次へと殺す仕事に就いた傭兵もいる。
マリの当局者は、3月上旬に300人ほどのトゥアレグ族がアルジェリア南部から砂漠を越えてリビアに入ったと指摘する。
「傭兵になるだけで1万ドル、さらに報酬として1日1000ドル与えられると聞いた」
その報酬の一部は、マリの首都バマコにあるリビア大使館から支払われていたという。同国の政治家、イブラヒム・モハメド氏によると、トリポリと中部のセブハにはいまだ1万6000人のトゥアレグ傭兵が待機しており、
「カダフィ大佐を守る命令が下され、死ぬまで戦うという彼らの報告を電話で受けている」と語った。
※SAPIO 2011年6月29日号