菅政権後の「大連立」に向けた与野党の動きが、国民不在のまま加速・迷走している。もはや「自然災害より深刻な政治的災害」とすら言われる中、なぜ日本には優れたリーダーが育たないのか。大前研一氏が、その理由を明かす。
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危機の時代に対応できるリーダーは、どうすれば得ることができるのか? 正しいリーダー、本当のリーダーは、反対意見に磨かれて出現するものだ。会社の経営者は、顧客や株主やアナリストの厳しい目線によって伸びていくが、国のリーダーも国民の厳しい目線があって成長していくのである。
その点、日本の国民はリーダーに対する目線が緩すぎる。それは今までの「首相にしたい政治家」のリストを見れば明らかだ。田中真紀子氏や舛添要一氏ら、ワンフレーズで分かりやすいことを言うとか、最近では枝野幸男氏のようにテレビの登場回数が多い、といった表層的なイメージだけで選んでいる。
国家の将来を左右するような問題については、国論を二分して議論しなければならない。たとえば、原発は必要なのか必要ないのか。スイスやドイツなどのように脱原発に舵を切るのかどうか。脱原発となった場合は様々な犠牲を伴うが、それを覚悟するのかどうか。これは政治家ではなく、国民が決めなければならないことである。もちろん操縦を誤れば、日本中の原子炉が定期検査から復帰できず、日本全国で計画停電という事態に陥る。
そういう重要な問題について国民が真剣に議論することなく、とりあえず節電に協力しましょう、原発の新設は凍結して再生可能な自然エネルギーで補いましょう、というあやふやな姿勢のままでいたら、産業は日本を出て行くしかない。
ダメな経営者は、あれもこれもと「AND」でつないでいくことが多い。一方、優れた経営者の意思決定は必ず「OR」で、常にAかBを選択している。それは政治家も同じである。すなわちリーダーには、やらなければいけないこと、やってはいけないことを、その都度その都度、的確に判断し、説明し、決定していく能力が必須なのだ。
※SAPIO 2011年6月29日号