戦争では古くから武器商人たちが徘徊し、生臭い死の商いを繰り広げていた。そして現在、冷戦後の紛争やテロの多発が、彼らにさらなるマーケットを提供している。かつて武器商人たちを取材したことのあるフォト・ジャーナリスト笹川英夫氏が解説する。
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2011年2月、独裁者カダフィ大佐が支配するリビアで勃発した反政府デモ。いわゆる「リビア騒乱」の国際ニュース映像を見ているうちに、面白いことに気がついた。反乱軍側も、政府側も、同じ自動小銃で撃ち合っているのだ。
ドンという重たい銃声。特徴的な長いバナナ型弾倉。間違いない。あの「史上もっとも成功した自動小銃」と呼ばれるロシア生まれのAK103 だ。
このことは、誰かがリビアに大量のAK103 を持ち込んだことを意味する。武器のあるところ、武器商人あり。武器がなければ反乱も起こらない。
リビア騒乱は、冷戦後にむしろ勢力を増した武器商人たちの動きがひとつのトリガーになった可能性があるのだ。
私は、バルカン半島からアフリカ北部をテリトリーとするギリシャの武器商人、ピーター・カトラスにコンタクトを取った。アフリカでの武器売買でのし上がったピーターは、リビア事情に詳しかった。
「2007年のことだ。ベネズエラのチャベス大統領が直々にロシアのイズマッシュ社を訪れたことがある。何をしたと思う? AK103を3万挺も仕入れたんだ」
イズマッシュ社武器商人にとって、聖地ですらある。AK47の生みの親、ミハイル・カラシニコフのつくった会社で、AKシリーズなど大量の武器が製造されている。
「3万挺もの銃をチャベスは1万挺と2万挺、2つの船に分けた。一方は、バルト海から地中海、紅海を抜け、ベネズエラへ行った。だが2万挺を積んだもう一隻は、紅海には出ずに、そのままリビアの港に入ったんだ。チャベスの意図? それはわからない。だが彼は今、イズマッシュ社とライセンス計画を結び、ベネズエラ国内にAK製造工場を造っている。今年完成予定だそうだ。つまり大統領の肩書を持つ、強力な武器商人が誕生したということさ」
親米へと舵を切ったとされていたカダフィに、反米の旗手・チャベスが水面下で2万挺もの自動小銃を贈る。そしてそれが今回の騒乱で、両陣営の武器となっているのだ。
※SAPIO 2011年6月29日号