日本のリーダー不足は深刻だ。メディアが連日、後継首相候補の名前を取り沙汰しているが、国家を率いるに足るリーダーシップを備えた政治家は、残念ながら与党にも野党にも全く見当たらない。いま、日本のリーダーシップ教育に何が必要なのか。大前研一氏が解説する。
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私は過日、文部科学省の官僚たちと2時間にわたって議論する機会を得たが、海外のリーダーシップ教育について説明すると、みんな目を丸くしていた。
私は彼らに「教育の目的をどう定義しているのか」と質問した。この問題は、日本国民も根本から考えてみるべきだと思うが、私の答えは、義務教育の目的は「立派な社会人をつくること」であり、大学教育の目的はアカデミックな知識ではなく「“稼ぐ力”をつけること」に尽きる。
大学の授業料の投資利益率を回収期間10年、無収入期間4年として計算すると、高卒との給与格差が月額9万円必要となる。言い換えれば、9万円分の能力を身につける場所でなければならないのだ。
この議論で印象的だったのは、文科省の官僚たちが「リーダーシップは天与のものじゃないんですか?」と怪訝な顔で質問してきたことである。
否、リーダーシップは教育によって育むことができる。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(ダイヤモンド社)が大ベストセラーになった背景の一つは、日本にリーダーシップの指標がないからではないかと思う。あの本はリーダーシップ論の入門編のようなものであり、その種の勉強は実は大事なプロセスなのである。
戦前や昭和40年代までの戦後日本では、地域共同体の中で幅広い年齢層の子供たちが近所の空き地や川原などに集まり、年長者が年下の者の面倒を見ながら遊んでいた。アメリカのサマーキャンプ式リーダーシップ教育に匹敵するものが、日常生活の中にあった。
実際、かつては日本の政界、経済界にも優れたリーダーが大勢いた。しかし、年齢を超えて遊ぶ環境がほとんどなくなってしまった現在、リーダーシップ教育の重要性は否応なしに増している。
※週刊ポスト2011年7月8日号