中国では来年にも胡錦濤氏に替わって、習近平氏が次期リーダーの座に就く。権力の移行期に入って国内では新体制に向けた人事、権力の駆け引きに目が向けられ、いわば「対日工作の空白期間」ともいえる状況が生まれている。
だが、次期指導体制が固まれば、中国側は必ず外交的アプローチを仕掛けてくる。ぬかりなく浸透してくるであろう日本政界への工作を武冨薫氏がレポートする。
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日本での政権交代後の2009年12月、対中外交の檜舞台に登場した小沢一郎氏が、民主党幹事長として約140人の議員団を率いて訪中したのは記憶に新しい。胡錦濤・国家主席が議員全員と握手するという“特別待遇”だった。
その裏では、「中国側は民主党の若手議員が日中関係についてどんな意見を持っているか、会合や宴席を通じて同行議員全員をチェックし、その結果、まだ確たる考えを持っている者は少ないという報告があがっている」(日本の外交筋)という。
胡主席の握手には、いわば工作対象となる民主党の若手議員への「データベース」づくりの狙いが込められていたわけである。
一方の日本の若手議員の側には、中国側が見抜いたように、果たして中国を相手に外交交渉をしていく備えがどこまであったのかは疑問だ。 その点、田中角栄元首相の薫陶を受けた小沢氏は自民党時代から積極的に中国人脈の構築に動いた。
自民党幹事長時代には、エリート党官僚養成機関の中国共産主義青年団(共青団)の若手を日本に招く草の根交流事業を始めた。幹事長当時に日本の援助で建設が進められた北京市の「日中青年交流センター」(約100億円)には共青団の本拠が置かれ、小沢氏の自宅にホームステイした1人に、次期首相候補の李克強・副首相がいることはよく知られている。胡錦濤氏も共青団トップの第一書記を務めていた。
民主党政権ができると、双方がこのパイプをフルに使う。鳩山内閣が掲げた「東アジア共同体」構想に、中国はいち早く賛同を表明。また、前述の小沢氏率いる大訪中団の1か月前には、中国側から先に、小泉内閣時代に民主党と中国共産党との間で作った協議機関「交流協議機構」の協議のため、大規模な訪日団を送り込んで来たのである。
当時の民主党政権には小沢氏の他、鳩山由紀夫首相、岡田克也外相、藤井裕久財務相、石井一氏ら、日中国交正常化から親中を堅持してきた自民党田中派の流れを汲む面々が揃っていた。
「東アジア共同体に米国は加えない」(岡田氏)といい、普天間米軍基地の県外・国外移設を主張する小沢─鳩山民主党政権は、小泉時代の対米追従外交で日中関係が冷却化した苦い経験を持つ中国からして見れば訪中団に〝特別待遇〟を与えても惜しくない割のいい買い物だった。
だが、民主党内は親中一色ではない。中国の人権問題に批判的な仙谷由人氏、枝野幸男氏は「親台派」であり、中国脅威論を唱える「米国追従派」の前原誠司氏とともに「凌雲会」を率いる。
そして菅直人内閣の誕生と同時に小沢氏が政権中枢から排除され、かわって仙谷氏が官房長官として実権を握ると中国は政権へのパイプを一時的に失う。
だが、この菅政権下で想定外の事態、尖閣諸島沖での海上保安庁・巡視船と中国漁船の衝突事故が起きる。中国側はこれを奇貨として日本企業社員を拘束し対抗。対応ミスで“自爆”した仙谷官房長官が追い詰められると、政権維持を図りたい仙谷氏の足元を見る形で、「漁船船長」の釈放という条件を呑ませた。これを機にそれまで「親台派」だった仙谷氏は「親中派」へと転向した。
中国は菅首相の退陣表明で次期首相や外相人事が重大関心事だ。
「これまでは小沢氏と仙谷氏という民主党の2つの勢力とのパイプで情報は入ってきていたが、問題は前原、玄葉光一郎、野田佳彦といった松下政経塾出身者に枝野を含めた民主党第2世代。中国側は程永華・駐日大使以下、一丸となってこの世代の取り込みをはかるだろう」と日本の情報筋は見ている。
※SAPIO 2011年7月20日号