「あの味が忘れられない」「ずっと応援しています」――被災地で、甚大な被害を被った老舗メーカーに、長年のファンたちから多くの応援メッセージが寄せられている。
「被災者のかたから、“震災のお見舞いをもらったので、お返しに三陸のものを贈りたい”と注文をいただくことが増えてきました。現在、『三陸海宝漬』を1日1400個くらい製造していますが、震災前より多いくらいなんです」
というのは、昭和15年に釜石市で食堂として創業した中村家の永井孝一さん(製造部部長兼販売促進部部長)。三陸でとれるあわび、いくら、めかぶをしょうゆ漬けにした『三陸海宝漬』は、いまは休業している食堂のメニューとして出した海鮮丼を持ち帰りたい、という客からの要望で商品化した人気商品だ。
「工房自体は震災の被害を免れましたが、浜辺の冷凍施設が津波にやられました。3tのあわびなど原材料を保存していたのですが、流されて被害総額は4億円。でも、流されたあわびを被災者の皆さんが拾って食べたそうで、思わぬ救援物資として役立ったようです」(永井さん)
震災から1か月は操業停止状態で、5月の連休前から少しずつ営業を再開したという。
「“食品を扱っている会社なので、衛生面からも瓦礫のなかでつくっているというイメージをお客さんに与えたくない。まずは町をきれいにしよう”という社長の考えで、社員総出で町内の掃除から始めたんです。いままでこの町にお世話になったという感謝の気持ちも込めて、普段は包丁しか握らない人間がスコップを持って肉体労働に徹しました」(永井さん)
※女性セブン2011年7月21日号