3.11の東日本大震災から4か月弱。宮城県石巻市出身のコラムニスト・木村和久さんが、縁のある人々の安否を自身の足で尋ねながら、震災直後から現在の状況までをひとつひとつ掘り起こしていく。
* * *
今回訪ねたのは父方の兄弟で、寝具店を営んでいた叔父のところです。叔父も叔母もやはり、震災当時は生きた心地がしなかったといいます。震災当日、叔父夫婦は家にいたのですが、叔父が近所の寝たきりの老人の家を訪ねて様子をうかがい、家に帰ってきたちょうどそのときに津波に襲われました。叔父と叔母はふたりで波と追いかけっこ状態で、なんとか近くのビルに避難できました。叔父が気遣った近所のご老人は、そのまま津波に流されてしまい、助ける余裕はなかったそうです。なんともいえぬ無力感が漂います。
しかし、判断によっては自分たちも流されていたに違いないわけで、生死を分けたのは、ほんのちょっとの差です。
被災した叔父夫婦の家に寄ってみました。寝具を置いていた店舗部分はきれいに流されています。家の中も見てみましたが、もはや修復不可能。建て替えたほうが早いでしょうが、まだ建築許可が曖昧なままです。仮設住宅に申し込んでも、外れの連続で、全く先が見えていません。
気落ちしている叔父に元気を与えてくれたのが息子で、わざわざ仙台まで行って、ワゴン車を買ってきてくれたそうです。実は、石巻近辺では“値ごろな中古車を買ってはいけない”という話を耳にします。水没した車を売り逃げする人がいて、それをつかまされるとすぐにエンストして動かなくなるというのです。一方まともな中古車は首都圏の倍の値段で売られており、車両自体の数も少なく完全に売り手市場です。
寝具の需要はいまだそこそこあり、叔父も体を動かす意味で、そのワゴン車でときどき配達します。しかしいちばん売れているのは、石巻では喪服です。これも悲しい現実なのです。
※女性セブン2011年7月21日号