ドイツで開催しているサッカー女子W杯。なでしこジャパンのキャプテン・澤穂希選手(32)は15才で日本代表デビュー、そして17才のときにはアトランタ五輪に出場まで果たした。
このとき、女子サッカーは初めて五輪の正式種目になったこともあって、注目度は高かった。しかし、結果は惨敗。世界との差を突きつけられたのだった。さらに五輪惨敗の影響からか、女子サッカー人気も下降し、名門チームが相次いでリーグから撤退を決め、多くの選手が活躍の場を失う。それは代表選手だった澤とて同じことだった。
そして1999年、澤は人生最大の決断をする。大学を中退して、世界トップレベルの米国のプロリーグへと移籍したのだ。当初は体格差やスピードの違いに戸惑ったものの、持ち前の負けず嫌いと猛練習で、自分の長所を徐々に出し始め、ファンからは“クイック・サワ”と称されるほどの大活躍を見せた。
仕事(サッカー)が充実し始めると、私生活にも明るい兆しが見えてきた。これまでサッカーひと筋で恋愛とは無縁だった彼女が、人生最大の恋に落ちたのだ。相手は、パーティーで知り合った7才年上の連邦政府エージェントのアメリカ人。間もなくふたりは一緒に暮らし始める。
しかし、順調な生活も終わりを迎える。米国女子プロリーグが突然休止を発表。帰国を余儀なくされた澤は、このとき、恋人と結婚して米国で暮らそうと考えていたという。このときも澤の母親はこんなアドバイスを送っていたという。
「あなたは何を目指してアメリカでつらい環境に身を置いているの?」
結婚かサッカーかの狭間で苦悩する澤に、恋人は、「サッカーやめられるか?」と尋ねた。ためらうことなく澤は「もちろん」と答えたが、彼はこう続けた。
「サッカーやめて、本当に後悔しないの? 専業主婦して家で退屈している姿は似合わない。きみにはサッカーをとことんやってほしい」
彼の真剣な言葉で、結婚に傾いていた心の中に再びサッカーへの情熱が蘇った。澤は低迷する日本女子サッカーを救うためには、五輪に出場して注目を集めることが必要だと考えた。そのため、翌年に控えたアテネ五輪のピッチに立っていない自分は想像できなかったのだ。こうして恋人との別れを決意。結婚よりサッカーを選び、日本に復帰した。
※女性セブン2011年7月21日号