イタリア・セリエAの名門、インテル・ミラノに完全移籍したサッカー日本代表の長友佑都選手(24)。世界レベルのサイドバックとして、栄光の中にいる長友選手を、女手ひとつで育てたのが、母・りえさん(49)だ。
地元・愛媛の公立中学のサッカー部に入部した長友選手。中学2年生になるとサッカー部はどんどん強くなり、3年生のときには県大会で3位にはいるまでになった。そして迎えた高校進学。長友選手はサッカー選手として本気で「上を目指したい」と思うようになっていた。憧れていたのは全国でも屈指の強豪、福岡県の東福岡高校。サッカーが強いだけでなく、進学校としても有名だった。しかし、県外の私立高校に行くことになれば相当なお金がかかる。長友選手はなかなか「東福岡に行きたい」と口に出すことができなかった。
しかし、りえさんは、長友選手が「東福岡に行きたい」と切り出すのをずっと待っていた。ある日、長友選手がおそるおそる話をすると、りえさんはこういったという。
「あんたから『行きたい』というてくれるのをずっと待っとった。お金のことなんか心配する必要ないから」
親戚からは「そんなお金どこにあるの」「プロになるわけでもないのに」と猛反対を受けた。それでも、りえさんは覚悟を固めていた。
「大学も地元ではなく東京に行かせたい。そのためには長友家の姉・兄・長友の3人で3000万円はかかる。奨学金や教育ローンをめいっぱい借りました」
そして自らに3000万円の生命保険をかけた。
「私にもしものことがあったときに、子供たちに負担がかかってはいけない。奨学金の返済が大変になったときには、自ら死んでその保険金で支払うようにしようとも考えていました」
生命保険にはいったことは、もちろん子供たちには秘密にしていた。それでも、長友選手は母の“覚悟”を感じ取っていたようだ。東福岡高校の入学式を見届けて愛媛に戻ってきたとき、りえさんは無事到着を知らせるために送ったメールに、こんなひとことを添えた。
<いままで母親らしいことは何もしてやれなかったけど、がんばってね>
すると、長友選手からこんな返信が届いたという。
<僕は母さんがいてくれるだけでよかった。ほしいものも買わず、したいことも我慢して、一生懸命僕を育ててくれてありがとう>
読みながら、涙が止まらなくなった。
「布団にはいってからも、その言葉を思い出しては泣きました。私は間違ってなかったと…。親が一生懸命仕事をし、生きている姿を見せることが、いちばんの子育て。そう確信できた瞬間でした」
※女性セブン2011年7月28日号