暴走する菅首相と民主党政権を前に、なぜこの国では真のリーダーが育たないかの議論が巻き起こっている。そこに、歴史的観点から独自の視点を提供するのが『逆説の日本史』著者である、作家の井沢元彦氏だ。以下は、井沢氏の分析である。
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福島の原発問題を受けて、海外メディアは「現場の日本人は素晴らしいが、トップへいくほどダメだ」と評価しています。実は、大日本帝国が滅んだ時もまさに同じ状況でした。
日本は、リーダーを育てるのが苦手なんです。日本以外の国では評価されるリーダー像、例えば織田信長のような突出した人物が非業の死を遂げることが多いのが日本史の特徴です。和を乱す独断専行型のリーダーは、「世話人」型のリーダーを好む日本ではどうしても煙たがられるわけです。
後醍醐天皇しかり、足利義満しかり。彼らが実現しようとしたことが正しいか正しくないかは実は問題ではなく、周囲に話を通したかどうかが問題になってくるのです。
そうした事例は、古代から既に見られます。邪馬台国の女王・卑弥呼もそうです。私は卑弥呼は暗殺されたと考えていますが(『逆説の日本史』・第1巻『古代黎明編』参照)、古代では、非業の死を遂げたリーダーは神として祀り上げられました。卑弥呼の場合、大和朝廷の天皇家の祖神・天照大御神として祀り上げられたと私はみています。
諡号に「徳」のつく天皇にも同じことがいえます。仁徳天皇などのように、当初は中国的な発想で善政を敷いた天皇に「徳」の字が贈られていました。しかし、聖徳太子以降、あまり良くない亡くなり方をしている天皇に「徳」の字が贈られるようになりました。
文徳天皇、順徳天皇、安徳天皇などがそうです(第3巻『古代言霊編』参照)。「徳」の字が贈られた最後の天皇は、後鳥羽上皇です。後鳥羽上皇はその死後、当初は「顕徳」という諡号が贈られています。
こうした考えは後年まで影響を与えています。例えば、宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦で、武蔵が勝ちましたが、その舞台となった島(船島)は、小次郎の流派である巌流からとって巌流島と呼ばれています。宮本島でも、武蔵の流派・二天島でもありません。
天皇になろうとした将軍・足利義満も『逆説の日本史』では暗殺されたと主張しました(第8巻『中世混沌編』参照)。義満の場合、息子の義嗣に親王格式で元服式を行ない、後小松天皇の皇太子に据えようとする動きが本格化しました。そこで天皇を守ろうとする力が働き、義満は消されたわけです。
そのように考えると、自ら神になろうとした織田信長が、本能寺の変で殺されてしまったこと(第10巻『戦国覇王編』参照)が、大きな示唆を与えてくれているように感じます。
その後、平和な江戸時代を経て、幕末には坂本龍馬が出てきますが、暗殺されてしまいます。つまり昔から日本史では歴史を通して、「英雄」は消されているという事実が浮かびあがってくるのです。
※週刊ポスト2011年7月22・29日号