言論の自由という観点から、ウィキリークスを称賛し、インターネットの規制に反対する声は多い。ソニー攻撃で有名になったアノニマスすらヒーロー扱いされることもある。だが、果たしてインターネットの世界は絶対的に自由であるべきなのか。京都大学教授の佐伯啓思氏がそうした「危険な思想」を批判する。
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6月17日、俗に「コンピュータ監視法案」と呼ばれる法案が、衆議院に続いて参議院の本会議も通過し、成立した。「ウイルス作成罪」(正式名称は不正指令電磁的記録作成罪)を新設して刑法を改正し、捜査機関の電子データ差し押さえ手続きなどを定めた刑事訴訟法も改正するという内容だ。
これは、日本も署名した、不正アクセス、オンライン詐欺、ウイルス作成など国境を越えたコンピュータ、インターネット犯罪に対処する「サイバー犯罪条約」を国内法化したもので、日本では初めて本格的にコンピュータウイルスの作成や提供を取り締まることが可能となった。
サイバー犯罪が増加の一途を辿り、国境を越えた捜査の必要性も高まっていたため、法案の成立が急がれていた。
この法案がネットユーザーの間で批判や反発を呼んでいる。
法案では、捜査機関は裁判所の令状なしに、プロバイダなどに対して送信元、送信先、送信日時といった通信履歴の「保全を要請」できるとしているのだが、ネット上では、令状なしに「差し押さえ」できるとか、感染被害者でさえもウイルスを持っているだけで罰せられる、といった誤った情報まで飛び交い、また、これを契機に通信傍受法も強化されて共謀罪も導入されるのではないか……といった懸念が指摘されている。
そのため俗に「コンピュータ監視法案」と呼ばれているようだ。日本弁護士連合会なども会長名で危惧を表明し、かのソフトバンク社長の孫正義氏も「本件に抗議して、今から3日間tweetやめます。ハンガーストライキみたいなもんです」と、自身のツイッターで書いた。
こうした批判、反発が起こる背景には「インターネットは絶対的に自由であるべきだ」という思想がある。
その思想は、ソニーグループのサイトをハッキングし、1億人分にも及ぶ個人情報を流出させたとされる、国境を越えたハッカー集団「アノニマス」(匿名の意)や、アメリカを始め各国の外交文書の暴露を続けている「ウィキリークス」にも共通するものだ。アノニマスは「インターネットの自由」を掲げ、ソニーグループがアメリカの著名ハッカーを訴えたことに「インターネットの自由に対する攻撃だ」と強く反発して反撃した、と報道されている。
彼らの行為が意味するところは、相手が政府のような公的機関であれ、企業のような私的団体であれ、内部告発やハッキングなどによる「裏に隠された情報」の表面化、「秘密」の暴露である。
私は内部告発や機密情報の暴露が全て間違っていると主張するほど原理主義者ではない。だが、そうした行為をひとたび「正義」として称賛してしまうと、政治あるいは組織を支えている基本的な人間相互の信頼が失われてしまう。昨年も海上保安庁の職員がいわゆる「尖閣ビデオ」を流出させ、保守の側から賞賛されたが、これは決して「正義」の名で称賛される事柄ではない。
内部告発や機密情報の暴露が具体的な国益の損失につながる可能性もある。
過去の例で言えば、40年ほど前の沖縄返還交渉において、時の佐藤政権はアメリカ政府との間で基地の継続使用や核の持ち込みに関する密約を交わしたが、もしもこの外交機密がリークされていたら、沖縄返還はずっと遅れていたかもしれない。
現在でも、仮に竹島問題、尖閣問題などに関する外交文書や内部文書がリークされ、インターネットで公開されたら、どうなるか。しかもインターネットの場合、何につけ全体的な文脈を無視して断片的な情報が流布し、スキャンダラスに情緒的な反応を引き起こすことが多い。それだけに、場合によっては日本の立場が誤解されたり、国益が損なわれたりすることも十分にあり得る。
民主主義においては国民世論によって政治が動くので、本来、国民世論の中にある程度常識的な判断があり、かつ時間を掛けた議論があって初めて政治は機能する。情報公開を絶対化するというまやかしの正義のもと、機密情報が断片的に暴露され、国民が情緒的に反応してしまうのは極めて危険で、警戒すべき事態なのだ。
※SAPIO 2011年7月20日号