【書評】『なぎさホテル』(伊集院静/小学館/1470円)
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〈夢のような時間〉。本当に夢だったとしてもおかしくない日々を、作家・伊集院静氏はかつて逗子にあった『なぎさホテル』で過ごした。同書の著者・伊集院氏自身が語る。
「見ず知らずの青年を出世払いでいいといって7年も泊めるなんて、普通はありえないよね。しかも当時の自分は無茶もやっていてね。方々で金は借りまくるわ酒は飲むわの生活。喧嘩や危ない仕事をわざわざやって、死んだら死んだで構わないと自棄になってもいた。
そんな金も居場所もない、真っ直ぐなだけの男を彼らが受け容れてくれたことは、今でも自分の一部になっている。この薄汚れた私にも純粋さゆえに悩んだ時代があったんです(笑い)」
それは伊集院氏にとって本を最も読んだ時間であり、〈M子〉こと今は亡き夏目雅子・前夫人と結婚までを過ごした7年間でもあった。先の見えない不安と焦燥を抱えて、しばし羽を休めた場所――そんな優しいホテルと人々の物語である。
写真・宮澤正明氏、音楽・井上陽水氏による電子書籍版が先行発売されてもいる本作では、同ホテルのありし日の姿を収めた秘蔵写真も多数掲載。うっとりするほど優雅に佇むそこが『なぎさホテル』であったこと――それこそが作家が書くに値する奇蹟なのかもしれない。
※週刊ポスト2011年7月29日号