サッカー日本代表・長友佑都選手(24)。いま彼は、世界レベルの左サイドバックとして栄光の中にいる。そんな彼だが、一時期、不良と付き合っていた時期があったのだという。
中学入学のころになると、長友選手は反抗期の難しい時期を迎えた。小学1年生のときに地元の少年チームでサッカーを始め、チームでは「お山の大将」。ところが小学6年生のときに愛媛FCのジュニアユースに落選。地元の公立中学校のサッカー部にはいることになった。
しかし、入学した西条北中のサッカー部は荒れていた。部員は練習をサボり、部室にたばこの吸殻が落ちているような状態で、とてもサッカーに打ち込めるような環境ではなかった。長友選手も髪を染め、仲間たちとゲームセンターに入り浸るようになった。
長友選手の母・りえさん(49)はそんな長友選手を叱ることなく、子供を信じ、黙って見守っていた。
「反抗期の初めって、どこかで親に悪いなと思っている。そう思いながらも、自分の気持ちがコントロールできていない状態なんです。そのときに親が“あんた、どこ行ってるの!”といってしまうと、よけい反抗期がひどくなってしまう。だから、佑都が自分自身で気づくのをじっと待っていたんです」
そうはいっても、女手ひとつで男の子を育てることに不安はあった。女の子の気持ちはわかっても、男の子とは違う。
「特に佑都はガキ大将でも、わりと周囲に気を使うところがある子でした。だからそういうストレスをどこかで発散させてやらないと大変だろうなと思って。離婚した後は、私が最初に佑都のストレスのはけ口になってやろう、受け皿になってやろうと思っていました」(りえさん)
そんな母の思いが、不良になりかかっていた息子をどこかで押しとどめたに違いない。例えば、まわりのワル仲間がたばこを吸っていても、長友選手だけは口にしなかった。
実は長友選手がサッカーに打ち込み始めたころから、りえさんはこういい続けてきたという。
「私の家系にはアスリートが多く、祖父が競輪選手で、叔父も勝利数で通算2位の競輪選手だったんです。だから、佑都には“おじいちゃんはすごい競輪選手だったのよ。あなたにはおじいちゃんの血が流れてるから、絶対すごいアスリートになれるよ”といい続けてきました。そして“おじいちゃんはたばこは吸わなかった”ともいい聞かせてきたんです」
口では「もうサッカーはええわ」といいながら、長友選手のサッカーへの情熱は消えていなかった。母が自分の能力を信じてくれているという思いが、周囲に流されるのを防波堤のように防いだに違いない。
※女性セブン2011年7月28日号