見事サッカー女子W杯で優勝したなでしこジャパン。決勝戦で、日本の1点目、さらに大会MVPで主将・澤穂希(26)の同点ゴールを演出し、1ゴール1アシストと大活躍を見せたのが、宮間あや選手(26)だ。その左足から繰り出される正確なキックを武器に、“なでしこジャパンの中村俊輔”ともいわれている。
そんな宮間だが、小学生時代には登校拒否になったこともある。あるインタビューで、彼女自身こう語っている。
「人のいうことをあまり聞けない子でした。不良じゃないんですけど、登校拒否のときがあった。小学1年生から3年生の間ですね」
3年にわたる登校拒否。その原因は何だったのか。母・洋子さん(52)はこう話す。
「もともとの原因は、幼稚園の年長組のころでした。園内でうさぎを飼っていて、園児たちで飼育を担当することになったんです。あやもその担当に選ばれて張り切っていたのですが、他のお友達がその仕事を忘れてしまったんです。ひとりになってしまった娘は、とまどって飼育ができなかった。そのときに先生に“みんなが面倒見ないとうさぎが死んじゃうのよ”と怒られたそうです。その言葉にショックを受けて、幼稚園に行くことに抵抗を持ち始めたんです」
しかし、そんな宮間に両親は、決して学校に行くことを強制しなかったという。
「正直、親としては、どうしたら幼稚園に行くことができるのか焦りましたが、強引に連れて行ったところで、自分が納得しない限りはまた同じことになると思ったので、私たちは黙っていました」(母・洋子さん)
そんな宮間を救ったのがサッカーだった。彼女が小学校にあがったころ、父親が子供たちのためにサッカークラブを創立。彼女もそこで本格的にサッカーを始める。
「学校には行かないあやでしたけど、ボールを蹴っているときだけは楽しそうにしていました。“学校に行きなさい”とはいわなかった代わりに、“好きなことをしたいなら、勉強とスポーツを両立しなさい”とはいい続けました。すると自分で考えるようになって、少しずつ自立して、いつの間にか学校にも通うようになっていましたね。ただ小学3年生までというのは大袈裟だと思いますよ」(母・洋子さん)
※女性セブン2011年8月4日号