【書評】『地図で読む戦争の時代 描かれた日本、描かれなかった日本』(今尾恵介著/白水社/1890円)
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
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人間の営みとともに、地図は変化してきた。宅地、農地、道路、線路、さらには地名。それが「戦争の時代」となれば、なお面白い。いまのように地球観測衛星などない時代、地図には、作成者の目線が差し挟まれる。戦争において、地図は“最大の武器”であり、勝利した暁には、敗者の地に征服の印が刻まれることにもなった。
それほどに地図は雄弁だ。当時は市販する地図の裏で、「軍事極秘」と打たれた“正しい”地図があった。同時代に並存した二つの地図を重ね合わせると、国家の非常事態というものがいかに危うく、抗いがたい空気を持つものだったか、想像力がわきおこるのである。
「戦時改描」がそのひとつだ。高層ビル群がそびえる新宿駅西口一帯は、かつて「淀橋浄水場」だった。昭和十三年の地図で「浄水場」とあるこの地は、戦況が厳しくなる昭和十七年になると「公園のような描写」になっている。はたして実際にそうだったのかというと、戦後の昭和二十二年の地図では、ふたたび元の浄水場となる。
これは「昭和一二年に軍機保護法が改正」されたことで、戦争に必要な重要施設を「敵の目から」隠すためであった。ほかにも国内の兵器工場、ダム、発電所といった兵站基地が、敵からの攻撃をそらすために「これといった特徴もなさそうな農村」などに改描された。
現実の世界でも、電車の路線が影響を受けた。たとえば都電(市電)の停車場の間隔は、昭和四年の「二九〇メートル」から、昭和十九年には「八〇〇メートル弱」となり、停車場の数は半分以下になっている。これは金属供出と、燃料不足による節電のためだった。
そんな不便のなかでも、われわれと同じ日常生活が、地図のなかにはあった。日々の労働をして飯を食い、夜になれば床に就く。たまの休日には、電車に乗って街に出かけてもいただろう。
「油断していると戦争ははるか遠く昔のことになってしまう」という著者が発掘した数々の地図は、ことさら雄弁に、ちいさな人間の息づかいすら掬い上げる。
※週刊ポスト2011年8月5日号