女子サッカーW杯で金メダルを獲得した「なでしこJAPAN」。だが、男子と比べると注目度も低く、待遇も悪く苦難の道があった。「女子サッカー」自体も偏見を持たれていた過去がある。だが、ただひたすらにサッカーを続けたいという純粋な思いこそが、なでしこたちの現実を、少しずつ変えていった。
「あのときの屈辱が、穂希の原動力になっているのかもしれません」
そう語るのは、日本代表キャプテンの澤穂希(32)が小学生時代に加入していた地元、東京・府中市の少年サッカーチーム「府ロクサッカークラブ」の関係者だ。澤はひとつ年上の兄の影響で、6才のころからサッカーを始めた。小学2年生から同チームで男子に交じって紅一点、黙々と練習に励んだ澤は、小6のころにはチームの中心選手となっていた。
ところが、毎年夏に行われる全日本少年サッカー大会では、当時の規約で女子の参加が認められず、澤はベンチを温めるしかなかった。
「チームは地区ブロック大会で敗退してしまったのですが、悔しそうにしていたあのときの穂希の表情はいまだに覚えています。そのころからです。彼女が口癖のように“私は、女子サッカーをメジャーにしたい”と口にするようになったのは。女子だから試合に出られないという屈辱が、その後の活躍のバネになったのだと思います」(同関係者)
全国の強豪6チームの参加によって、現・なでしこリーグの基となる「日本女子サッカーリーグ」(JLSL)がようやく誕生したのは、その前年、1989年のことだった。
そもそも女子サッカーは1900年代の初頭、サッカーの本場・英イングランドで流行の兆しを見せ、1914年に第一次世界大戦が勃発して男性が戦場へ駆り出されると、ヨーロッパ各地で盛んに行われるようになった。ところが、「サッカーは男の中の男のスポーツである」との偏見に、「女性の体に有害である」という何ら根拠のない理由が加えられ、1921年、イングランドサッカー協会が女子チームへのグラウンド提供禁止を通達してヨーロッパ各国も追随。
1970年にこの通達が解除されるまでの半世紀にわたり、いわば“幻の競技”とされ続けた歴史があったのだ。
※女性セブン 2011年8月11日号