広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「正統派の雄」と評する落語家が、柳家さん喬である。
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大ネタ長講で感動させ、滑稽噺で爆笑させる柳家さん喬。彼は寄席の世界を代表する「正統派の雄」だ。円熟した噺家の正攻法の古典落語を堪能したいという人には真っ先にお勧めしたい演者である。1948年、東京下町の本所に生まれ、1967年、五代目柳家小さんに入門。今や押しも押されもせぬ大看板だ。
さん喬は古典にきめ細かな演出を加えて深みを与え、メリハリの効いた演じ方で聴き手を魅了する。古典の中に「現代的な解釈」を持ち込むのではなく、磨き上げた伝統的テクニックで思い切って感情を注入することで、独特の「さん喬の世界」を創り上げている。そうしたさん喬の特徴が最もよく表われているのは大ネタ、中でも人情噺と呼ばれるものだ。
穏やかで丁寧な口調を基調としたさん喬の人情噺は、心地好い空気で聴き手を優しく包み込む。だが、ここぞという場面では一転して、徹底的に押しまくる演技で感情を爆発させる。そのドラマティックな演出による感情表現の見事さは、現代落語界でも突出している。
人情噺の中には、現代人の感覚からすると不合理なものが少なくない。娘が身を売って作った五十両を見ず知らずの若者にくれてやる『文七元結』、盗人の濡れ衣を着せられた父のために武家の娘が吉原に身を沈める『柳田格之進』などは、その最たるものだろう。
そうした噺の不合理さを克服するべく独自の演出を追究し、成功を収めている演者もいるが、さん喬は不合理を不合理のまま演じ、問答無用で感動させてしまう。語り口の魅力と強烈な感情移入が、不合理な噺に説得力を与える。それはまさしく「芸の力」だ。
※週刊ポスト2011年8月12日号