泥沼離婚バトルの渦中にある高嶋政伸(44)と妻・美元(32)。離婚に至る背景には、妻・美元がなじめなかった、政伸の信仰心に基づく奇妙な行動の数々があったが、高島家がスピリチュアルな世界にはいり込むようになった経緯を追うと、いまから47年前に高島家で起きたある重大事件があった。
それは1964年8月24日早朝に起こった。1963 年に結婚した父・高島忠夫(81)と母・寿美花代(79)の間に生まれた、当時生後5か月の長男・道夫ちゃんが殺害されたのだ。
当時の報道によると、同日午前2時40分ごろ、長男がいつも寝ている階下の部屋にいないのをお手伝いさんのひとりが発見。2階に寝ていた夫妻に知らせるとともに、110番通報した。寿美はもちろん忠夫も他のお手伝いさんたちも、家の中ばかりでなく、家の周りも必死になって捜した。どぶ板も1枚1枚はがしてくまなく調べた。それでも見つからず、家に帰った後、ひょっとしたらと思い、風呂のふたをあけると、長男が浮かんでいたのだった。
「犯人はその日のうちに判明しました。寿美さんは宝塚出身の女優なんですが、その宝塚時代からの寿美さんのファンで、1963年末から高島家でお手伝いとして働いていた17才の少女でした。動機は同僚のお手伝いに対する嫉妬でした」(当時を知る芸能レポーター)
時が過ぎても、夫妻の悲しみは薄れるどころか、日に日に深く濃くなっていった。翌1965年に政宏を、続く1966年には政伸をもうけるが、夫妻はふたりの息子に長男がいたことをなかなか話せずにいたほどだ。政宏と政伸が成長し、芸能界で活躍するのを見ても、ふと、道夫ちゃんは大きくなることさえできなかったのだという思いがこみ上げてきた。
そんなふたりを救ったのが、象霊学研究家の長昌弘氏だった。
「仏壇にはいっているのは戒名だけで、ご長男は政宏くん、政伸くんとして再現され、大活躍をしているのです。政宏くん、政伸くんがご長男そのものと思ってください」
忠夫も寿美も、長氏のその言葉に救われた。以来、折にふれて長氏にアドバイスを求め、仕事で成功をおさめるとともに、一家の絆を強固にしていった。
※女性セブン2011年8月18日号