2011年6月、大阪府の橋下徹知事は「大阪維新の会」で過半数を制している府議会で、公立学校の教員に君が代を起立斉唱するよう義務付ける「君が代条例」を可決成立させた。話題の新刊『「規制」を変えれば電気も足りる』(小学館101新書)で日本をダメにする役所の「バカなルール」を総覧している元経産省キャリア官僚の原英史氏(現・政策工房社長)がその意味を解説する。
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この「君が代条例」について、「そんなことをわざわざ条例で……?」と首をひねる人もいるだろうが、問題を民間企業に置き換えて考えてみるとわかりやすい。
君が代斉唱はあまり聞かないが、例えば朝礼で創業者の遺した社訓を「ひとーつ……、ふたーつ……」とみんなで唱えるなんて会社は今でもある。内心では「勘弁してくれよ」と思っている社員もいるだろう。だが、一人だけ椅子に座ってそっぽを向いたりはしない。そんなことをしたら、上司や人事部ににらまれ、ボーナスを減らされ、昇給・昇進も遅れかねないからだ。
だから、民間企業の場合、「社訓を唱える時は、起立しなければならない」というルールを、わざわざ就業規則で決める必要がない。
ところが、公立学校の場合は違う。君が代斉唱時になぜか座っている先生が存在する。これは、「公立学校の教員」には特殊な規制制度があって、民間企業の従業員(私立学校の教員も含め)と別世界になっているためだ。
まず、普通の会社だったら厳しく注意する上司がいるが、公立学校の場合、そもそも誰が“上司”なのかがよくわからない。校長先生だと思う人も多いだろうが、校長先生の定義は、以下の通りである。
学校の先生たちを「監督」する立場にはあるが(学校教育法37条4項)、「人事権」は与えられていない(地方教育行政の組織及び運営に関する法律34条)。
校長先生の言うことを聞かない先生が出てくる所以だ。
では、「区市町村立」の学校だから、選挙で選ばれた市長や区長が民間企業で言う“社長”にあたるのでは、と思うかもしれないが、これも違う。教育に関する権限の多くは、市長たちから切り離され、独立した「教育委員会」に与えられる(同法23条)。
しかも、小中学校の場合、「区市町村立」の学校なのに、教員の人事権は「都道府県教育委員会」だったり、ともかく複雑になっている。結局は、誰が責任を取るのだかわからない、もっと言えば、誰も責任を取らなくていいシステム――になってしまっている。
この“無責任体制”が、学校を特殊な世界にしている。普通の会社なら、誰の言うことも聞かず滅茶苦茶を繰り返していたら、最後は懲戒処分が下る。学校の場合も、一応懲戒処分の制度はあって、中には、「君が代斉唱時の起立を命じた職務命令への違反」で懲戒処分が下されたケースもないわけではない。だが、これは、ごくごく例外的なケースにとどまる。
教育基本法9条では、公立学校の教員は「崇高な使命と職責」を負っているとされ、そのため「身分を尊重」される、とある。この“呪縛”があるため、減給・免職などの処分発動は極度に制約されてきたのだ。
橋下氏は、条例成立後、「(この条例は)学校というものを、校長をトップにした普通の組織にする一歩」と発言したそうだが、これは、問題の本質をとらえている。