福島第一原発の事故は今後のエネルギー政策のみならず、根本的な国家戦略、科学技術とのスタンスの取り方はどうあるべきなのかをも問い掛けている。世論が「脱原発」「反原発」に傾く中、この問題をどう考えるべきなのか。
本誌が保守派言論人26人に緊急アンケートを行なったところ、「無条件継続」が4名、「条件付き継続」が17名、「将来的に廃炉」が1名、「議論待ち、どちらでもない、など」が4名となった。
「無条件継続派」の一人、小堀桂一郎・東京大学名誉教授は、その根拠を以下のように語る。
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結論を先に言ふとすれば、原子力発電事業は現在・将来に亙つて堅持すべきである。
斯く言ふ論拠は、原子力による産業エネルギーの十分な確保が、一に国家の高度な安全保障にとつて、二に国民の総生産量の維持にとつて不可欠の要請だからである。
安全保障の必要に〈高度な〉と付けたのはそれを原子力兵器に直接つなげて考へてゐるわけではないことを示す。ドイツ人が原発について消極的であるのは、かつて世界の最先端を進んでゐた自国の原子物理学が、その成果を無差別大量殺戮兵器に転用されるのを防ぐことができなかつたといふ反省が、科学者の記憶から消えないでゐるからである。
この「悔恨の伝統」にはそれなりの敬意を払つてよいが、日本にはこの点で、逆に原子力兵器の開発を昭和天皇の叡慮によつて断念し、中止したといふ誇るべき倫理的伝統がある。原子力エネルギーの平和利用にかけて、日本の物理学・原子力工学の学問的水準は、戦前からの伝統として世界のどの国にも劣らない技術と倫理の双方の面での高さを有してゐるし、またこの高水準を将来も維持し、それを国民の誇りとすべきである。
天下の秀才を自負する優秀な学徒達は是非とも原子物理学や原子力工学の途に進むがよい。そして原子炉の安全運転のためには、是亦現在の日本が世界に誇るべき高度の安全性を確立してゐる新幹線運行体系に於ける細心精緻の管理運営技術を見習ふがよい。
かうして原子力の完全な管理を通じてのエネルギー問題の解決に成功する事、つまりエネルギーの補給を外国に仰ぐ必要がないといふ体制を整へる事こそ、我が国の民生の充実と繁栄の最大の条件であり、我が国にそれを可能にする科学技術水準の高さがあると認められる事が又、高い次元での安全保障の確立である。この様な目標意識と惜しみなき予算投入の覚悟を以て取り組むならば、日本に於ける原子力発電の未来は必ず明るい。
※SAPIO2011年8月17日・24日号