原発のあり方を問う時に、重要なファクターとなってくるのが、やはり政治である。菅直人首相が「脱原発」一本槍で進むのに対して、かつて原子力政策を推進してきたが故に腰が引けている感の自民党。しかし、その中で「過去の原発政策を見直す」と真っ向勝負を挑んでいるのが石破茂政調会長だ。政界屈指の論客と言われる石破氏は「菅さんと民主党の役割は終わった」と断じる。
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――菅首相の「脱原発」発言はどう評価していますか。
石破:個人的見解という人もいるが、総理に個人というものは存在しない。脱原発と言うが、その中身が見えない。彼は「原発をゼロにする」とはっきり言ったのですか。
――公式には言っていませんが、首相の頭の中では20年くらいをめどにゼロにしたいと考えていると、側近たちは認識しているようです。
石破:そうであれば、菅さんの大好きな再生可能エネルギーへのシフトが中核となるはずですが、では、どのエネルギーがいいのか。どれとどれの組み合わせがいいのか。移行するまでの期間、コスト等の、具体的な話が何もない。夢を語るのはいいが、幻想を語るのは政治ではない。
――菅首相の脱原発で気になるのは、具体論がないまま、ワンフレーズ、スローガン化していること。巷間言われる「脱原発解散」がそうですが、ゼロか100かを選ぶ二元論となっていては、現実に物事は進んで行かないのでは?
石破:ワンフレーズ、スローガン政治は危険です。よく小泉純一郎さんの郵政選挙と比べられるが、実はまったく違う。郵政民営化は小泉さんの持論であり、解散前の支持率も40~50%台で安定していた。一方、菅さんは10%台に低迷する支持率の下で「脱原発」を掲げている。こちらは政策目標を達するためではなく、延命が目的ではないか。それでは、むしろ脱原発を願望で終わらせかねない。結局、菅首相は政治を「私」にし、脱原発をオモチャにしている。
また、二元論というのはろくなことが起こらない。私はヒトラーが登場した時を思い出す。「独裁」か「民主主義」かを二元論で語り、争点は唯一「雇用」だった。戦後、なぜドイツ国民はヒトラーを選んでしまったのかと問うと、たった一言、「職とパン」だったと答えたと言います。
独裁者という意味では、北朝鮮にも似ている。崩壊すると言われながら崩壊しない。北の瀬戸際外交などは、「俺の顔を見たくなければこの法案を通せ」と言った菅さんに通じます。あるいは、発言が二転三転し、その度に周りが翻弄される。自分さえよければ国はどうなっても構わない、という姿勢は、「北朝鮮がなくなるくらいなら、世界がなくなったって構わない」と言ったとされる金正日に重なる。そして菅さんは「民主主義とは期間を区切った交代可能な独裁だ」と言い切るほど、独裁願望が強い。
だから、そういう菅さんが脱原発・反核解散を打つという話が出てきた時には、われわれ自民党は、まさかやらないよねと言わずに、受けて立つべし、恐れてはいませんよと示さなければならない。それが危機管理です。
●聞き手/歳川隆雄(ジャーナリスト)
※SAPIO2011年8月17日・24日号