SAPIOは東日本大震災と闘う自衛官とその家族、OBたち120名に対して取材を行なった。ここにあるのは、日本人が忘れてはいけない「3.11後」を支えた人々の「奮闘の記録」である。今回は米軍の「オペレーション・トモダチ」を通訳として支えた自衛隊山形地方協力本部の女性予備自衛官の体験を紹介する。
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米軍の「オペレーション・トモダチ」を支えた一人が、予備自衛官の阿部美奈子3曹である。夫も自衛官である彼女は、英語が堪能だ。
「予備自衛官になろうと思ったのは、昨年のことです。夫が30年間働いてきたところはどんなところなんだろうと思い、7月に採用され、予備自衛官補になりました。その後、2回訓練を受け、予備自衛官となったのが今年1月。
それからわずか2か月で震災が起き、招集されました。任務について聞くと、『米軍との通訳です。でも、行ってみないと具体的な内容は分からない』とのことでした」
仙台駐屯地に入り、初日の通訳をしたのは、なんと“あの人”だった。
「トモダチ作戦を指揮したウォルシュ太平洋艦隊司令官です。でも、私自身は軍隊にあまり詳しくなく、どれほど偉い方か分からなかったので、気後れせずに任務を果たせました」
同行した自衛隊幹部から最初に通訳を依頼されたのは、こんな内容だったという。“重々承知だと思いますが、避難所で笑顔は見せないでください。それから、チューインガムを噛むのもやめてください”――。
「もちろん司令官も一緒にいたルース駐日大使もそんなことはせず、神妙な面持ちで避難所を回っていました」
夜は他の女性自衛官と一緒に、仙台駐屯地で寝泊まりしたという。
※SAPIO2011年8月17日・24日号