SAPIOは東日本大震災と闘う自衛官とその家族、OBたち120名に対して取材を行なった。ここにあるのは、日本人が忘れてはいけない「3.11後」を支えた人々の「奮闘の記録」である。今回は地震発生当時、自らの結婚式を行なっていた陸上自衛官の話を紹介する。
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その時、陸上自衛隊第9師団第21普通科連隊の佐藤晃3曹は結婚式場にいた。他人の式ではない。自分自身の一世一代のハレの日だった。
「地震があったのは、親戚一同が集まって結婚式を行なっている最中でした。ウェディングドレスを着た花嫁を残して、着飾ったまま、急いで所属する秋田の駐屯地に向かいました。もちろん、結婚式は中止。沖縄への新婚旅行も無期限延期になりました」
佐藤3曹が岩手県釜石市に入ったのは3月15日のこと。すぐに救護活動が始まった。活動の中心となったのは、津波被害を免れた県立釜石病院だった。
1日に20~30人の患者を運んだ。だが、ライフラインがストップした病院では不十分で、時には重傷者を、内陸部に100キロ近く離れた奥州市にある病院へ運んだこともあった。
生存者だけではない。多くの遺体の収容、運搬も行なった。遺体は圧死や溺死がほとんどだった。毎日のように、佐藤3曹は遺体と対面した。
「自分は仲間を助けたい、という気持ちから衛生小隊を希望して配属されました。今、目の前に助けを求めている人たちがいる。ご遺体を捜しているご家族がいる。その役に立てている自分が嬉しかった。結婚式はやり直しがききますが、被災地では一刻を争います。釜石に来てから、結婚式中断を後悔したことは一度もありませんでした。新婦には、本当に悪いことをしてしまいましたが……」
※SAPIO2011年8月17日・24日号