太平洋戦争(大東亜戦争)とは何だったのか。最前線で戦った兵士たちは、あの戦争をどう受け止め、自らの運命をどう捉えていたのか。ノンフィクション作家・門田隆将氏が、太平洋戦争の生き残りを全国に訪ね歩き、未曾有の悲劇を生々しく再現したのが、『太平洋戦争 最後の証言(第一部 零戦・特攻編)』である。「九十歳」の兵士たちは、自分たちがなぜ戦場に向かい、何を守ろうとしたのかを後世に伝えようとしていた。時を超えても変わらない使命感と親兄弟を守るという熱い思い──門田氏がレポートする。
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長野に住む原田要は大正五年生まれで、今年九十五歳となった。日中戦争や真珠湾、ミッドウエー海戦を含め、多くの激闘を経験し、生き抜いた戦士である。
原田が操縦する九五式艦上戦闘機が南京の光華門を爆撃したのは昭和十二年十二月十日のことだ。
光華門突破に苦戦する脇坂部隊を援護するため、江蘇省の常州飛行場を飛び立ち、原田は六十キロ爆弾で光華門を爆撃している。さらに城壁を守る中国兵に機銃掃射もおこなった。
「城壁の幅がかなり厚く、中国兵たちはその上で必死に抵抗していましたからね。彼らを空から機銃で撃ちまくりました」
今から七十四年も前の南京攻略戦でのことである。だが、このあと彼らは思いがけない“国際問題”を引き起こしてしまう。十二月十二日のことだ。
「私たちは、南京から敗残兵が揚子江を逃げるのでそれを攻撃しろという命令を受けていました。その時、パネー号という米国の砲艦とイギリスの商船を沈めちゃったんですよ。中国の船団の中にまぎれ込んでいたため、外国船であることはわかりませんでした」
“パネー号事件”と呼ばれる誤爆事件である。
短期間に大量に養成されていった太平洋戦争末期の搭乗員とは違い、この頃の飛行戦闘員は技術も高く、出撃すれば戦果は大きかった。アメリカの砲艦もひとたまりもなかったのだ。
※週刊ポスト2011年8月19・26日号