「ニュースから学ぶ大人力」、今回はコラムニストの石原壮一郎氏が「京都五山送り火騒動」を教材に、「大人の頼まれ方の美学」を考えます。
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いくら火を燃やす話だからといって、あまりにもユラユラ揺れまくっている「京都五山送り火」の騒動。結局、陸前高田市から送られた薪からセシウムが検出され、京都では燃やさないことになりました。
どのぐらい検出されたのか、それは本当に危険な量なのか、じゃあ京都の薪もちゃんと測定したのかなど、そのあたりは判然としません。
しかしまあ、なんとも後味の悪い結末となりました。最初に燃やさないことを決めたときもかなり呆れましたが、その後、抗議に押されて燃やすことにした段階でも、嫌そうな口調で「ほな、燃やさしてもらいますわ」と言われているような気がしたものです。
そんな流れのあとで「薪からセシウムが検出された」と聞いても、「ホントかなあ」と疑いの目を向けずにいられません。いや、本当なんでしょうけど、送り火の関係者の人たちがホッとしている様子を勝手に想像してしまいます。
「そら見たことか」ぐらいのことを言ってドヤ顔をしているジイサンとか、きっといるに違いありません。
……すいません。勢い余って悪いイメージをふくらませてしまいました。大人としては、五山の問題を他山の石にさせてもらいたいところ。この出来事からは、大人の頼まれ方とはどうあるべきかを学ばせてもらいましょう。
たとえば、友達から「今度、出張でそっちに行くから家に泊めてくれ」と言われたとします。おそらく妻はいい顔しないでしょうけど、友達にはカッコつけて「いいよ、いいよ」と答えてしまいました。しかし、予想通り妻のOKをもらえなくて「ごめん、やっぱり無理」と断わることに。その時点で、あなたの印象も妻の印象も最悪です。
その後、どうにか妻を説得して「やっぱりいいよ」とOKしても、もはや気持ちよく泊まりになんて来れません。しかも今回の出来事は、そんなことがあった上に「お前、ちょっと前に東北に出張に行ってたよな。やっぱり来ないで」と言っているようなものです。
あとで断わる羽目になる可能性があるなら、最初から断わったほうがずっとマシ。そして、いったん「いいよ」と答えたら、意地でもその約束を守りましょう。コロコロと結論を変えてしまったら、あとからどう言いつくろっても、どんなやむを得ない理由ができたとしても、心からの納得はしてもらえないし、どんなに悪く思われても仕方ありません。頼まれ方の美学を貫くのは、相手に対するマナーであり自分を守る術でもあります。
京都の関係者の人たちも、かくなる上は、腹をくくって開き直るしかありません。大文字焼が行なわれるときに、みんなで「大の字」になって地面に寝転び、「煮るなり焼くなり好きにしてくんなはれ!」と叫んでみてはどうでしょう。マイナスのイメージを払拭するには、そのぐらいの大胆な行動が必要かも。よかったらお試しください。