新宿、上野、浅草、池袋と、都内に四軒ある寄席の定席。ホール落語や独演会などで落語を楽しむのが一般的になったとはいえ、毎日昼夜休み無く、数多くの芸人が入れ替わり立ち替わり登場する「寄席」という空間が、大衆芸能としての落語にとって重要なホームグラウンドであるのは、今も変わらない。その寄席の世界で長年パワフルに活躍し続け、「寄席の帝王」ともいうべき圧倒的な存在感を見せつける演者が、柳家権太楼だ。
1947年生まれで、1970年に五代目柳家つばめに入門。1974年につばめが46歳の若さで亡くなったため、つばめの師匠である五代目柳家小さんの門下に移籍。1982年に真打昇進して三代目柳家権太楼を襲名した。
権太楼の「何が何でも笑わせる」パワー、わかりやすさを重視する大衆的な芸風は、亡き上方落語の人気者、桂枝雀を思わせる。上方きっての理論派だった枝雀は独自の落語論に裏打ちされた緻密な計算により、大袈裟な演技で爆笑させる独特の芸風を確立したが、権太楼も相当な理論派だ。著作や対談などを読むと、力技で観客を引き込む権太楼の滑稽噺が、したたかな計算に基づいて綿密に組み立てられていることがよくわかる。
滑稽噺は奥が深い。ドラマティックなストーリーで引き込んだり、人情噺で泣かせたりするのも容易ではないが、滑稽噺できっちり笑わせる方がずっと難しい。一流の噺家は皆、異口同音にそう指摘する。
滑稽噺は多くの場合、たいしたドラマが起こるわけでもなく、あらすじを語るだけなら数十秒で済んでしまう。そこに、演者の個性という「魂」をどうやって込めるか。滑稽噺の難しさは、そこにある。オリジナルの新しいギャグを入れて笑わせるのもいいが、それはあくまで「滑稽噺の本質」がしっかり腹に入っていてこその話だ。
権太楼は、決して小細工はしない。「いつもと同じ、お馴染みの演り方」で、毎度きっちり爆笑させる。それが出来るからこそ「爆笑派のチャンピオン」なのである。
※週刊ポスト2011年8月19・26日号