今年の夏休みは、東日本大震災の被災地でのボランティア活動を考えている人も多いだろう。東北の被災地にこれまで入ったボランティアの数は阪神・淡路大震災の時よりまだ少ないとされている。一方、義援金や支援金の額は当時より多く、数千億円にのぼるという。だが、それとて、“慈善事業先進国”のアメリカに比べれば微々たるものだ。日米の“慈善事業”に対する明確な違いを指摘するのは、国際ジャーナリストの落合信彦氏だ。
* * *
日本での寄付文化には、基盤となる信念が見られないために、目的が曖昧となる。
今回の震災でも、日本赤十字社に多額の寄付が集まったが、その分配先はまだほとんど決められていない。集めた側が官僚的な判断しかできないという問題点もあるし、寄付をする側に、「何に対し、どこで使ってほしい」という明確な意志がなく、とりあえず赤十字に出しておけばいい、という気持ちがあることも原因の一つだ。
結果、目的がはっきりしないまま漠然とカネが集まり、有効に使われる可能性はどんどん低くなる。
また、アメリカに比べると、税制面で優遇がされないことも日本で寄付が根付かない理由として挙げられるが、その他にも、私は日本人の“嫉妬心”が寄付文化の広がりを阻害しているように思えてならない。
ビジネスの世界で突出した成功を収め、巨万の富を築いた者に対しては、周囲が必ずやっかみ交じりの目で見始め、あら探しを始める。
近年、日本では株主総会に際して、年間の報酬が1億円を超えた役員の氏名と報酬額を開示することが義務付けられた。6月末にはその数字が大々的に報じられることが、風物詩となりつつある。その報道にしても、どこか「もらいすぎではないか」というような非難めいたニュアンスが見られる。
税務署が知っていればいいだけなのに、国民に開示せねばならないとは、一体どういう了見なのか。プライバシー侵害もさることながら、国民的嫉妬心のガス抜きとさえ感じられる。
「なんとか年間の報酬額が1億円未満に収められないか」
そんな相談を経理部門とする大企業の取締役もいると聞く。飛び抜けた額の報酬を受け取ることに、後ろめたさを感じているのだ。
もちろん、報酬に見合う働きをしているかの検証は行なわれて然るべきだ。しかし、きちんと職責を果たしているのであれば、正々堂々と受け取ればいい。使い切れない額ならば、それを生活に困っている人々や、次の世代のためのチャリティに回せば済むことだ。
そういった意識が、この国の富裕層にはまだ足りない。証拠に、開示制度がある中で、正々堂々と高額の報酬を受け取っているのは日産自動車のカルロス・ゴーン、ソニーのハワード・ストリンガーなど、外国人トップばかりではないか。
巨額の富を得られるのは、何か汚いことをしているからだ、という意識があるから、こっそりとカネを貯め込む。その結果、社会貢献に回されるカネも少なくなっているとは言えないだろうか。
※SAPIO2011年8月17日・24日号