福島第一原発の事故は今後のエネルギー政策のみならず、根本的な国家戦略、科学技術とのスタンスの取り方はどうあるべきなのかをも問い掛けている。世論が「脱原発」「反原発」に傾く中、この問題をどう考えるべきなのか。
本誌が保守派言論人26人に緊急アンケートを行なったところ、「無条件継続」が4名、「条件付き継続」が17名、「将来的に廃炉」が1名、「議論待ち、どちらでもない、など」が4名となった。
「将来的に廃炉派」の現代史家、秦郁彦氏は、その根拠を以下のように語る。
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今回、技術の不足、情報の隠蔽など電力会社の独占体制による弊害や、国側の原発に対するコントロール能力の欠如が露呈した。そもそも国土が狭小で地震が頻発する日本では原発はリスクが大きすぎるし、廃棄物処理の目途も立っていない。
今回の事故で日本全土の汚染を辛うじて回避できただけでも望外の幸運と悟るべきである。こうしたことを考えると、逐次、古い原発、特に危険な立地の原発から廃炉とし、その間(およそ5年)、代替エネルギーを全力で開発すべきである。
電力会社や経産省などは「原発がなければ日本経済は成り立たない」という情報をしきりに流しているようだが、そこには原発をめぐる利権構造を温存したいという意図が見え隠れする。だが、国民の多くは「原発は経済成長維持に不可欠」という考えは思いちがいらしいと思い始めている。
現在、日本の原発54基のうち16基しか稼働していないが、経済活動に決定的に大きな支障は生じていない。その16基も今後次々と定期検査に入っていくが、そのまま運転再開に至らず、来春にはほとんどの原発が止まってしまう事態も予想される。その時、火力、水力発電や節電によって何とか間にあえば、脱原発は現実味を帯びてくるだろう。
もともと日本が原発の開発を始めた時、中曽根康弘氏など一部の政治家は将来の核武装を睨んでいたと言われている。だが、国内的、国際的反発が大きく、将来的にも原子力技術を軍事目的に転用することは不可能に近い。しかも、平和利用に限定した原子力発電にしても、今後は保守点検と廃棄物処理で手一杯にならざるを得ない。
つまり、日本の原子力技術はもはや後ろ向きなのである。すでに旧七帝大の原子力工学科は廃止も同然となっており、今後優秀な学生がこの分野に入ってくるのも望めない。
※SAPIO2011年8月17日・24日号