日本人のテレビ離れが指摘されているが、日本人にとってテレビは必要不可欠のものなのか。評論家の呉智英氏が疑問を呈する。
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そもそも私はほとんどテレビを見ない。64歳の今まで200時間ぐらいしか見ていない。テレビは「見るもの」ではなく「出るもの」だと考えている。「テレビを見ないと不便ではないか」とよく聞かれるが、これまで不便だと感じたことは特にない。
日々のニュースは新聞を読めば足りる。活字であるため、一度読んでわからなかった内容も読み直すことで理解を深められるし、元々情報の取捨選択がなされているので効率が良い。災害時の速報など緊急の情報も、ラジオを聞いているので問題ない。また、ラジオでは趣味のクラシック音楽も聞けるため、娯楽面の不満もない。
ほんの30年ほど前までは、こうしたテレビのない生活が珍しくなかった。地域によっては、家にテレビがあると、ぜいたく品だというので生活保護を受けられない時代もあった。それが普及率の上昇により、テレビが家具の一部と化し、まるでタンスと同じような感覚で捉えられるようになった。現代人はテレビを見ること自体が“癖”になっているのである。
日本人の多くが「テレビは生活になくてはならないもの」であると考えているフシがあるが、大きな誤解である。テレビは単なる「習慣」にすぎない。
よく中途半端な教育者が、「テレビを見ると子供の学力が下がる」などと、さもテレビが強い悪影響を持つように喧伝するが、これは笑止千万である。テレビを見ようが見まいが、東大に受かる子は受かるし、受からない子は受からない。結局はその程度の話で、毒にも薬にもならないのがテレビなのだ。見たければ目から血が出るまで見ればいい。
※週刊ポスト2011年8月19・26日号