かつてタブーだった「がん告知」は、いまや「常識」になった。しかしその急速すぎる動きに戸惑い、傷つき、苦しむ患者がいることも事実だ。
7月12日に亡くなったリポーターの宮尾すすむ氏(享年77)は、末期の食道がんに冒されていた。個性派俳優として知られた原田芳雄氏(享年71)も、1週間後の同月19日、上行結腸がんから併発した肺炎のためにこの世を去っている。
いまや著名人の「がん死」は珍しくもない時代だが、両者のケースが注目されたのは、どちらもありのままの病状が本人に「告知」されていなかったからである。
宮尾氏の場合、今年6月の時点で医師から「除去が難しい進行がん」であること、加えて「余命3か月」という見立てが長男の山口雅史氏に告げられた。しかし雅史氏は、本人にはがんであることを告げないことを選択した。
原田氏についても、2008年11月の大腸がん手術後、がんが再発した際に医師から家族に「余命2年」と告げられていた。しかし家族は原田氏にそのことを伏せ続けたという。
宮尾氏の長男・雅史氏が当時の心境を振り返る。
「告知をすべきか、もちろんそれは頭をよぎりました。ですが、発見された食道がんの場所が悪く、すでに手の施しようがないこと、ほんの少しのきっかけで容体が急変するリスクがあるという説明を医師から受け、判断したのです」
今年6月半ばに入院した後、宮尾氏の体調は悪化の一途をたどった。ベッドの上で意識不明に陥ることもしばしばだった。雅史氏が語る。
「父は体中の色々な機能が低下していて、酸素マスクを手放せない状態でした。その父に、“あと何か月生きられるか”という話ができるはずもない。私たち家族はがんを告知するかどうかよりも、残された時間の中でどうやって父とできるだけ多くコミュニケーションを取るか、どうやって最期をきちんと看取れるかということを考え続けた。
病院の配慮とこまめな報告もあり、私は父の死を一番そばで見守ることができた。父は自分ががんであることを知らないまま逝ったと思いますが、決断に後悔はしていません」
※週刊ポスト2011年9月2日号