日本球界の頂点を極めたプロ野球選手・監督といえども、高校球児の時の記憶がその後の野球観を作り出している――。スポーツライター・永谷脩氏が、12球団監督たちの采配のルーツを、彼らの高校球児時代に探った。ここではソフトバンク・秋山監督のケースを紹介する。
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パ・リーグで首位を走るソフトバンク監督・秋山幸二は、1980年夏の熊本県予選決勝で西武元監督の伊東勤擁する熊本工に敗れ、甲子園への道を断たれている。この試合で八代のエース・秋山は伊東に本塁打を打たれ、3-4と惜敗した。
「強豪相手に速い球だけでは勝てない。一か八かの変化球勝負。結果はダメだったけど、これがその後に活きた」
プロ入り後はキッパリと投手を諦め打者に転向。監督としても、物静かな性格とは裏腹に、意外と大胆な采配を見せる秋山。“開き直り”が彼の野球人生を作っている。
※週刊ポスト2011年9月2日号