SAPIOは東日本大震災と闘う自衛官とその家族、OBたち120名に対して取材を敢行した。ここにあるのは、日本人が忘れてはいけない「3.11後」を支えた人々の「奮闘の記録」である。今回は福島第一原発から20キロ圏内の海域で行方不明者捜索、救援活動に従事した海上自衛隊横須賀地方隊多用途支援艦「えんしゅう」の乗組員3人に話を聞いた。
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横須賀を拠点とする多用途支援艦「えんしゅう」が、横浜のドックでの定期検査を終え、福島第一原発から20キロ圏内の海域の行方不明者捜索、救援活動に向かったのは、震災から1か月後。捜索する海域からは、原発の無残な姿が正面に大きく見えた。艦長の畑俊之3佐が語る。
「放射線対策として、出入り口を1か所のみにして、船の中と外を二重扉で完全に隔離しました。防護服を着用した機関長が30分ごとに外に出て放射線量を測定。幸い、心配したほどの値は計測されませんでしたが、放射線に敏感とされている女性隊員については、艦内の別の部屋に移動させ、原発から約5キロまで接近した時には、事前に遠くにいる別の船に移しました」
洋上の捜索は集中力が勝負だ。常時、7~8人の見張り員が、船の中からガラス越しに双眼鏡で目視。200~300mほどの距離をカバーする。状況が良い時は500m先まで目視できるという。
「震災の1か月後だったにもかかわらず、漁具やイカダの残骸などが、あちこちに散乱していました。残念ながら行方不明の方を見つけることはできませんでした」(畑3佐)
その後、「えんしゅう」は三陸湾岸に移動し、現在も行方不明者の捜索・救援活動を続行中だ。隊員たちは10日間捜索して横須賀に帰港、中5日の休養後、捜索に出かけるというローテーションで任務をこなす。
「妻には『自衛官は、いざという時には家にいないから、頼むぞ』と常日頃から話しているので、ある程度覚悟していると思います」(機関長の陣内敬史1尉)
「普段は何も言わない高校生の娘が、今回に限って『気をつけてね』と言ったので、ちょっと戸惑いました」(先任伍長の岡部隆行曹長)
海上の捜索活動では、被災者と接触する機会がほとんどない。たまに近くの漁船が近付いて手を振ってくれると、勇気づけられるという。
※SAPIO2011年8月17日・24日号