今でこそ核家族化で嫁と姑の確執は少なくなってきたと推測できるが、それでも古今東西、嫁姑問題は変わらぬテーマ。1980年代の投書から、千葉県の主婦・Sさん(30)の実家の母と、義姉・K子さんのあいだに繰り広げられた凄惨な闘いを紹介しよう。(女性セブン1988年8月4日号より)
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「このまま、あのひどい義姉のところに母を置いておくわけにはいきません。殺されてしまいます」――Sさんからの投書には、驚嘆するばかりの内容が綴られていた。
Sさんの実家で嫁姑の仲に暗雲がたれこめ始めたのは、姑が、汚い言葉を使い始めた孫娘のS子ちゃん(3)のしつけを自分がすると言い出したことがきっかけだった。夫は九州へ単身赴任し、その上、週に3日、保険セールスのパートをしている嫁にとって、S子ちゃんを取られるのは断腸の思いだったのだが、ある日、姑がうたた寝をしている間にS子ちゃんが表へ飛び出し、バイクにはねられてしまったのだ。
右頬を3センチほど縫うケガだけにとどまったが、とたんに嫁の不満に火がついた。この事件を境に、嫁と姑の立場は逆転した。
蒸し暑くなってきた梅雨のころ。ある日の夕方、姑は、自室に扇風機を入れようとして、しまっておいた物置きにはいった。バタン!! 突然、戸が閉まった。必死に姑は開けようとするが、戸は開かなかった。
「K子さん、開けておくれぇー。S子ぉ、開けてちょうだーい!!」そんな叫び声があがる物置きの戸のそばに、嫁は立っていた。
付近はまだ田畑が広がり、空き地も多く、姑の声は隣近所には届かなかった。蒸し風呂のような暑さのなか、助けを求める声も、しだいに小さくなっていった。電灯もない、窓もない4畳半くらいのその物置きのなかにはただ暗闇が広がっているばかりだった。
「K子さん、勘弁しておくれ。お願いだから出しておくれ!」
嫁が木の棒でかんぬきをしたにちがいなかった。泣き叫び、へとへとになった姑は、そのうち、すわり込んだまま眠っていた。すると、物置きの戸が開き、嫁の声がした。
「おなか、すいたかしら? ほ~ら、ごちそう持ってきたわよ」そういうなり、大きなゴミバケツと、ゴミ袋が2つ、3つ、投げ込まれた。
翌日、姑は、まっ暗闇のなか、手さぐりでゴミバケツをこじ開け、手にさわった物をむさぼるように口に入れた。スイカのへたと、ニシンの頭と骨が、姑の空腹を満たしてくれた。
閉め切った物置きには、むせかえるような悪臭がたちこめ、茫然自失となった姑は、その場で失禁した。そのうえ、何匹ものゴキブリが姑の体を這いまわったが、もはやそれをはらいのける力もなくなっていた。
3日めの昼近く、さすがの嫁も不安になったのか、ゴミ袋と一緒に、冷やめしでつくったおにぎりを2つと、おしんこ2切れを差し入れた。まさに、牢獄だったのだ。
こうして、4日めの朝を迎え、嫁の怒りはようやく静まった。暗い物置きから解き放たれた姑の着物は汚物にまみれ、頬の肉はそげ落ちて、まるで地獄から生還したようだった……。