以前はタブーだった「がん告知」は、いまや「常識」になった。しかしその急速すぎる動きに戸惑い、傷つき、苦しむ患者がいることも事実だ。
かつて千葉県がんセンター長を務め、『がん告知 患者の尊厳と医師の義務』(医学書院)の著書がある竜崇正・浦安ふじみクリニック院長がいう。
「どんな治療を受けるか選択する権利を守るために、可能な限り患者には真実を伝えなければならないと考えています。がん専門医である以上、私自身はほとんどの患者に“がんである”と伝えている。患者に施せる治療法があれば必ず告知する。患者と医師が一緒になってがんと闘っていくには、どこまで踏み込んで生と死について話していけるかが非常に重要だと考えるからです。
ただし“何でも、誰でも、すぐ告知していい”というわけではない。患者の精神状態、それまで構築してきた医師との人間関係の深さなどを考慮して慎重な判断をすべきです」
竜院長の慎重な言葉の背景には、「告知全盛時代」の弊害が顕在化している現実がある。医師にとって半ば「義務」と化した告知によって、患者の心身の健康が損なわれたり、余命にさえ悪影響を及ぼしたりするケースが少なくないのだ。
がん患者を多く抱える大病院の看護師がいう。
「若い医師、特に研修医に多いのですが、初対面に近い患者さんに“もう手の施しようがない”“余命は3か月です”なんて乱暴な告知をしてしまう。患者さんの立場になってみれば“がんです”と知らされただけでもパニックになってしまうのに、突然余命を告げられることは耐え難い苦痛です。面談室の患者さんの号泣が廊下にまで響いていたこともありました」
唐突ながん告知は、患者にとって時に「死の宣告」に等しいものとなる。告知によってうつ状態に陥る患者の報告例も少なくない。
特に注意しなければならないのは、がんか否かを伝える「罹患の告知」よりも、「もってあと半年」「あと1年」というような「余命告知」である。これには専門医にも異論や疑問が多い。
「実際のところ、専門医でも正確な余命はほとんどわかりません。寿命が限られてきて“あと1か月、もって2か月”となればともかく、半年、1年、2年などという余命はまず見極められない。がんの種類や進行度からわかる一般的な生存率などは伝えますが、私は積極的な余命告知はしていません」(ある専門医)
専門医でも予測が難しいにもかかわらず、告知が横行してしまうのはなぜなのか。
ある医療ジャーナリストが解説する。
「たとえば、“余命1年”と宣告して3か月や半年で亡くなったということになれば、遺族から“医療ミスではないか”と訴えられる可能性もある。逆に“余命3か月”と短くいっておけば、1年、2年と永らえた時には“延命した名医”となる。
医師にとっては短い余命を告知したほうが都合がいいわけです。余命告知は患者やその家族の要望で行なわれることも多いのですが、メリットは少ないと考えたほうがいい」
※週刊ポスト2011年9月2日号